鵜戸神宮 霊石お乳岩(おちち岩)の写真
霊石 おちち岩
鵜戸神宮は神武天皇の父・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を祭り、海幸・山幸の伝説の舞台としても知られております。
古事記と、おちち岩に関する伝承の内容をまとめてみました。
綿津見神の宮(海神国)で
火遠理命(ほおりのみこと)=
山幸彦と結婚し、身ごもった
豊玉毘売(トヨヤマビメ)は、天孫の御子を海原で生むことは出来ないと考え、夫の元にやってきました。
山幸彦は豊玉毘売(トヨタマビメ)のために産屋をつくり、屋根を鵜の羽で葺きますが、産屋が出来上がらない内に豊玉毘売(トヨタマビメ)は産気づきます。「異郷(海神国)の者である私は、本国の姿に返ってお産をします。お産を終えるまで、産屋をのぞかないでください。」と告げ、産屋にこもります。
しかし、山幸彦は誘惑に勝てずのぞいてしまいました。
そこにはワニの姿になった姫の姿。姿を見られ、悲しみ恥じた豊玉毘売(トヨタマビメ)は御子を残し海神国へと帰ります。
この際、お子への愛情と健やかな成長を願い、ご自身の両乳房を洞窟内にくっつけていかれたといわれています。
鵜の羽で屋根を葺き終わらないうちにお産まれになったお子は、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と名づけられました。
豊玉毘売(トヨタマビメ)は、残してきたわが子が気になり、海神国より妹の
玉依毘売(タマヨリビメ)を乳母として代わりに送ります。
後に鵜草葺不合命の妻となる玉依毘売は、
岩屋の中に残された豊玉毘売の乳房からしたたる乳水で、鵜草葺不合命を育て上げたと云われています。
白文字は古事記 黄色文字は鵜戸神宮に伝わる伝承
- 古事記 -
豊玉毘売(トヨタマビメ)は、夫(山幸彦)が彼女の産む姿を見たのを恨んで、綿津見神の国に帰ってしまわれたが、夫恋しの心に耐えず、その子を養っていた縁で、その妹の玉依毘売(タマヨリビメ)を夫のところにお遣わしになり、玉依毘売
(タマヨリビメ)につぎのような歌を託した。
赤玉は 緒(お)さへ光れど 白玉の 君が装(よそひ)し 貴くありけり
(赤い玉は、それを貫いている緒さえ光って見えるほど美しいが、白玉のような あなたのお姿は、まことに、いとも尊いものでした)
これに対して、夫の火遠理命は答えられた。
沖つ鳥 鴨(かも)どく島に わが率寝(るね)し 妹(いも)は忘れじ 世のことごとに
(沖つ鳥、鴨がいっぱいいる島で、わたしが一緒に寝たあなたのことは忘れない。 わたしが生きている限りは)
古事記現代語訳古事記 (学研M文庫)梅原猛著 より
霊石「お乳岩」は鵜戸神宮本殿の後方にあります。
〔一部の画像はクリックすると1280pixに拡大します。〕
お乳岩は2つあります。
安産の信仰を集める所で、このお乳岩から滴り落ちた清水で作られた「おちちあめ」もあります。
お乳飴(おちちあめ) 二種類あるようです。
産後に口に入れると、乳の出がよくなるという 安産、育児、子授け、夫婦円満にもご利益があるそうです。
鵜戸神宮参道等のお土産店で販売されている
一般銘菓としての「おちちあめ」 (一般銘菓のおちちあめはミルキーみたいな白色です。)
とは別に、鵜戸神宮が安産祈願参拝の妊婦に授ける「おちちあめ」があります。
この 鵜戸神宮の「おちちあめ」は直径2センチほどのだ円形で半透明
(
画像)。お守りとして授け、霊験あらたかと言われます。
「鵜戸神宮おちちあめ」は、そのままでも食べられますが、通常は、飴を湯呑に入れ、熱湯を注ぎ、とかしていただきます。
(参考まで写真の「鵜戸神宮おちちあめ」の御初穂料は300円でした。 あめは5個入り)
「おちちあめ」について、詳しくは、宮崎県サイトの
みやざきの味と花101 おちちあめを参照願います。
以下は鵜戸神宮の現地案内より
おちちあめは洞内にあるおちち岩からしたたり落ちる石清水でつくられたアメです。
古くより、健康長寿のアメとして親しまれております。
また、妊婦さんがこのアメを食べたところ、おちちがたくさん出て、赤ちゃんがとても健やかに成長したとの喜びの声が全国的に広まり、今でも多くの方にお受けいただいております。
御祭神ウガヤフキアヘズノミコト(神武天皇の御父君)の御母君 豊玉姫の命は、暖かい母性愛から、御祭神の為に両乳房を窟内に置いて行かれたと伝えられ、其のお乳岩から出るお乳水をもって飴を造り、御祭神をお育てしたと伝えられている。この飴は其のお乳水をもって造った「おちちあめ」です。
おちちアメ湯
鵜戸神宮には「
おちちアメ湯」もあり、境内の 「あめ湯授与所」で、夏は冷やし、冬は温めて提供しています。
おちちアメ湯について(案内板より)
おちち岩より滴り落ちるあちち水と当神宮ゆかりのおちちアメに生姜を加えて作りました。
古来より安産授乳無病息災など霊験あらたかな授与品として信仰を頂いております。
- あとがき -
鵜戸神宮のお乳岩は何度か撮影してはいたのですが、一つはあれど、二つのお乳を同時に入れたものが無く、今回あらたに撮影する事に。
参拝や観光などでいらした方の迷惑になるといけないので、朝6時の開門を待って参拝、撮影。
荘厳な空気に包まれた中、聞こえるのは朝の祝詞と潮騒だけ・・・
神様からのご褒美でしょうか、普段見る事の出来ない、こんな幻想的なシーンまでも拝むことが出来ました。
古事記によると、成長した鵜草葺不合命(ウガヤフキアエイズノミコト)は、やがて叔母の玉依毘売(タマヨリビメ)を妻に迎え、五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、そして神倭伊波礼毘古命(カムヤマトヒワレビコノミコト)という四柱の御子をもうけます。
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトヒワレビコノミコト)は、日本の中央部に国を開くべく、大勢の供を率いて 日向の美々津からお船出し、東に向かいます。
後に大和地方を平定し、橿原の宮を建て、第一代の天皇となります。神武天皇です。
日向は天皇家のふるさとと言われる所以です。
補足事項
このページでは、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と一般的な略式表記しましたが・・・
鵜戸神宮の御祭神は、
(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)です。
参考まで・・・
『古事記』では 天津日高日子波限建鵜草葺不合命 (あまつひこひこなぎさたけ
うがやふきあえずのみこと)
『日本書紀』では
(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)のようです。
宮崎市清武町にも、お乳岩伝説があります。 →
丸目の乳岩
お乳岩のお話は、古事記等から派生した伝えなのでしょうね。
- 日本書紀より -
(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)、其の姨(をば)玉依姫を以て妃(みめ)としたまふ。
彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生しませり。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりのみこと)。次に神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)。
凡(すべ)て四(よはしら)の男(ひこみこ)を生(な)す。久しくましまして
、西洲(にしのくに)の宮に崩(かむあが)りましぬ。因(よ)りて日向(ひむか)の吾平山上陵(あひらやまのうえのみさぎ)に葬(はぶ)りまつる。
〔 鵜戸神宮 スライド動画 Youtubeに掲載中 〕
〔 鵜戸神宮周辺外略地図 〕
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