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高千穂峰(霧島連峰) Mt.takachihonomine
高千穂峰(高原町)の位置

古事記、日本書紀にも出て来る天孫降臨の地、高千穂峰(1574m)この山は、裾野から見てもその秀麗さは見飽きない。
二つの寄生火山二ツ石と御鉢(おはち)を従え天に立つ高千穂峰。山頂には迩迩芸命(ニニギノミコト)が降臨に際して逆さに突きたてたという鉾「天の逆鉾(あまのさかほこ)」(鉄あるいは銅製、長さ138cm、周囲26cm 霧島東神社の社宝)が立てられており日本の創始の地である事を物語る。
山腹上部は溶岩や、火山砂等からなり赤茶けた不毛の地であるが、山頂東斜面一帯にはミヤマキリシマの群落がある。
登山ルートはいくつかあるが、鹿児島県側、高千穂河原からの登山コース(標高差約600m)が一般的。
霧島連峰は昭和9(1934)年わが国最初の国立公園に指定された。

高千穂を空に望めば心さえほのぼのとして明りゆくかな / 与謝野鉄幹
大いなるこのし津けさや高千穂の峯のすべたるあまつゆふぐれ /斎藤茂吉

こちらのページも是非!→ 高千穂峰登山レポートもご覧ください   


※ 高千穂峰は、鹿児島県-宮崎県間にまたがる霧島連山を代表する霊峰です。
宮崎県北部に位置する高千穂峡等で有名な高千穂町とは県南/県北、全く違う位置関係です。
   (名前が同じ「高千穂」故、勘違いされる方も少なくないようですので・・一応ここで書きました。)




天逆鉾(あまのさかほこ)
高千穂峰山頂 天逆鉾(あまのさかほこ) 霧島東神社(宮崎県高原町)の社宝

高千穂峰

ひむか神話街道ロゴ天気予報 (霧島町)高千穂峰  (標高1,574m)※→ 標高は2014年4月1日より変更
宮崎県西諸県郡高原町  Mapfan GPS N=31.52.57/E=130.55.16 辺り
 国土地理院提供地図リンク 高千穂河原 (最短で登れる一般的な登山口)
 鹿児島県姶良郡霧島町 Mapfan  GPS N=31.52.55/E=130.53.54 辺り
国立公園霧島略図 1  (自然保護対策協議会発行のもの)
 霧島エリアマップ(PDF リンク先:霧島錦江湾国立公園〕霧島地域略図 企画:パークサービス・自然公園財団) 
 

高千穂峰の歴史

3万年以上前に二子石が噴火 → 8千〜7千年前に二子石横に古高千穂峰が噴火形成 → 5千年前に古高千穂峰横に現在の高千穂峰が噴火形成(この時火口は 最後の噴火で塞がる)→1500年前に高千穂峰横に御鉢が噴火形成

テレビ番組のご案内
にっぽん百名山 「霧島山」 BSプレミアム  2014年6月9日(月)  午後7時30分〜8時00分 (再放送あり)  
日本の名峰絶景探訪・神々が住む・高千穂峰 BSTBS  2013年6月8日(土) 21:00〜 

関連テレビ番組のご案内
2013年5月10(金)21:00〜(再放送 5月15(水)8:00〜) BSプレミアム 新日本風土記 「霧島連山」
宮崎県高原町がメインと思われます。  番組サイト
平成26年 2月11日 建国記念の日 冠雪した高千穂峰

2014年6月
ごみの散乱防止や登山客の利便性向上に向け、環境省は高千穂峰山頂に、個室の携帯トイレブースを設置した。市販の携帯トイレを利用できるよう便座が設置されている。

登山禁止(入山規制中)の高千穂峰で二名が一時遭難・救助要請 (2012/04/29記)
登山禁止(入山規制中)の高千穂峰で遭難騒ぎ (2011/11/9記)


高千穂河原にも直径7〜8cmの噴石

2011年1月27〜28日には新燃岳から7Km離れた高千穂河原で、直径7〜8cmの噴石の飛散が確認されています。
新燃岳噴火
2011年1月27日、最初のマグマ噴火の際、東に約50Km離れた宮崎市で撮影した写真です。
奇しくも竜馬伝″p逡苺山頂ロケから丁度半年後。





大河ドラマ「龍馬伝」鹿児島ロケ

2010年NHK、大河ドラマ「龍馬伝」第3部で坂本龍馬と妻お龍が旅行した霧島・高千穂峰でのロケが行われました。
龍馬とお龍の、「日本初」とされる新婚旅行は、第3部の最終話となる38回(9月19日放送予定)タイトル「霧島の誓い」
当サイト内関連話題→ 龍馬伝 第三部長崎ロケ、鹿児島ロケ 龍馬伝 鹿児島霧島ロケ
(鹿児島ロケは7月27日、28日、 27日に高千穂峰ロケが行なわれました。)




高千穂峰画像(下記画像は800pix等に拡大表示します)

中岳中腹より見た高千穂の峰高千穂峰山頂付近のミヤマキリシマ
霧島連山は5月中,下旬頃よりミヤマキリシマが咲くベストシーズンをむかえる。[左画像は1024pixに拡大] [撮影:MORIMORI]
高千穂峰(1574m)/御鉢(1206m)山肌がミヤマキリシマでほんのりピンク色になっているのがお分かりいただければ幸いです。

新燃岳より撮影した高千穂峰
-当サイト内高千穂峰関連リンク
高千穂峰の壁紙(1024pix〜1600pix三種)
新燃岳より望む高千穂峰 (ここからの景色もなかなかです)
雪した高千穂峰 ひなもり台より
ミヤマキリシマ
霧島連山 中岳、高千穂峰、えびの高原で撮影したミヤマキリシマ
ブログ:ミヤマキリシマ霧島連山
霧島火山噴火の歴史 霧島温泉郷・霧島神宮

霧島えびの関連BBS(休止中)
左画像 新燃岳より撮影した中岳と高千穂峰

霧島縦走

えびの高原←→高千穂の峰の縦走が出来ます。(火山警報等が出ている場合には不可・特に新燃岳要確認) 霧島連山縦走コース 距離・時間
高千穂河原ビジターセンター霧島神宮古宮御鉢
 中岳と御鉢の鞍部にある高千穂河原 / 霧島神宮 古宮跡 / 御鉢は現在も火山活動を続ける。[撮影:ヤマコー氏]
御鉢パノラマ写真 新しいウインドウで拡大します。
御鉢パノラマ写真 [撮影:MORIMORI]
御鉢-高千穂峰高千穂峰山頂-天の逆鉾-01高千穂峰山頂-天の逆鉾-02
御鉢〜高千穂峰山頂へ / 山頂(天の逆鉾) [撮影:ヤマコー氏]
高千穂峰山頂-天の逆鉾-03高千穂峰山頂-天の逆鉾-04高千穂峰山頂-天の逆鉾-
天の逆鉾は一説によると奈良時代には既にあったとれ、その由来と共に謎は多い。
坂本龍馬も天の逆鉾を見る為に高千穂峰に登ったと言う。[撮影:ヤマコー氏]
高千穂峰より中岳韓国岳を望む 高千穂峰より桜島方面を望む
高千穂峰より見た中岳韓国岳 / 高千穂峰より見た 桜島  [撮影:ヤマコー氏]

霧島連峰説明
上記画像訂正 ×ひなもり岳→○甑岳

ミヤマキリシマの咲く高千穂峰頂上より御鉢と霧島連山 
ミヤマキリシマの咲く高千穂峰頂上より御鉢と霧島連山 [撮影MORIMORI]

かつて、お龍を伴い高千穂峰へ登った坂元龍馬は、この光景を見て 
此所ニきり島ツヽジヲビタヾシクアル 
此穴ハ火山のあとなり渡り三町斗アリ すり鉢の如く下お見るニ おそろしきよふなり
 と、慶応2年12月4日付、姉、坂本乙女宛の手紙に書いている。


坂本龍馬、おりょうの新婚旅行 (霧島・高千穂峰) 


今から130年前(注1996.12記)、慶応2年(1866年)日本の歴史の大転換期に坂本龍馬と妻おりょうは、薩摩(鹿児島)に訪れています。
京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は、妻おりょうとともに霧島の山深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしています。
姉乙女への手紙によりますと「天の逆鉾」を見て天狗の面に似ていると二人で微笑んだと記されています。
下山途中は一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景であったそうです。
またその足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここに一泊しそこから 霧島の温泉に戻り4月12日鹿児島へ帰っているようです。
坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は88日間と示され、現在の新婚旅行とも言われています。
このことは龍馬が姉乙女宛へ送ったと言われる手紙から抜粋し要約したものです。
参考文献(京都国立博物館蔵より)1996.12 霧島町 
 ( 以上 霧島神宮現地案内版より引用 写真はその案内板と 坂本龍馬・おりょう)

リンク 坂本龍馬の手紙より 慶応2年12月4日付坂本乙女宛 → Wikisource

お龍を伴い高千穂峰へ登った坂本龍馬は、「此所ニきり島ツヽジヲビタヾシクアル」 「此穴ハ火山のあとなり渡り三町斗アリ すり鉢の如く下お見るニ おそろしきよふなり」と、慶応2年12月4日付、姉、坂本乙女宛の手紙に書いております。
龍馬らが高千穂峰に登ったのは、慶応2年(1866年)3月29日、新暦にすると、5月13日、丁度ミヤマキリシマが咲く頃ですので、龍馬らはその頃を見計らったのではないでしょいうか?
おそらく、手紙にあるきり島ツヽジは、後に「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎(1862年-1957年)が1909年に命名することになる「ミヤマキリシマ」の事でしょうね。
実は、牧野富太郎氏も新婚旅行で霧島方面を旅行した時にミヤマキリシマを発見、そして命名されたようです。
そして、これまた偶然にも? 牧野富太郎も龍馬と同じ、高知県生まれです。


以下は 霧島市広報紙より一部引用
慶応2(1866)年12月 坂本乙女宛の手紙(抜粋)

この後3日大阪に出、4日に蒸気船に乗り込み、長崎には9日に着き、10日に鹿児島へ行きました。
この時は薩摩の京都留守居役 吉井幸輔も一緒で船の中でいろいろ話していきましたが、温泉へ一緒に遊びに行きましょうということで吉井に誘われ、また、二人連れで霧島山へ行く途中、日当山の温泉に泊まり、また、塩浸温泉(しおひたしおんせん)という温泉にも行きました。
ここはもう大隅地区で和気清麻呂が庵を作って修行したところで、陰見の滝(いんけんのたき)[現在の犬飼の滝(いぬかいのたき)]もあり、その瀑布の高さは50間(100m)もあり、滝の途中は崖に触っていません。実にこの世の外かと思うほどの珍しい所です。
ここで10日ほど泊まって遊び、谷川の流れで魚を釣り、ピストルで鳥を撃ったりして、大変おもしろく過ごしました。
その後はまた山深く入って霧島の温泉に行き、ここから又山上に登り、天の逆鉾(さかほこ)を見ようと妻と二人ではるばる登りましたが、橘南谿(たちばななんけい)の西遊記(孫悟空のではなく、中国、四国、九州などの旅行記)の記述ほどではないけれど、どうもひどい道で女の足には難しいようでしたが、とうとう「馬の背越え」までよじ登り、ここで一休みして、またはるばると登り、遂に頂上に登ってあの天の逆鉾を見ました。
やれやれと腰をたたいて、はるばる登りましたが、右の絵のような思いもかけぬ顔つきの天狗(てんぐ)の面があり、二人で大笑いしました。
ここに来れば、非常に高い山なので、目の届く限り見え渡り、すばらしかったのですが、なにぶん4月のことでまだ寒く、風も吹くので、そろそろと降りました。
高千穂牧場より見た高千穂の峰

天孫降臨について(日向神話)


天孫降臨は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上の国へとつわかし、天孫による支配を確立するきっかけとなった。
迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を、

古事記では
「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降ります」

日本書紀 には五種の説が併記
「日向の襲(そ)の高千穂の峯(みね)」
「筑紫(つくし)の日向(ひゅうが)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」
「筑紫の日向の高千穂の串触之峯(くじふるのみね)」
「日向の襲之高千穂の串日二上峯(くしびふたかみのみね)」
「日向の襲之高千穂の添(そはり)の山峯」

この高千穂峰、つまり宮崎県西諸県高原町が日本発祥の地である とする説があるようですが、天孫降臨の地は、ここ高原町と宮崎県内でも北部に位置する西臼杵郡高千穂町二説があります。

高千穂牧場より見た高千穂峰 [撮影:MORIMORI] →
Book
天皇家の“ふるさと”日向をゆく」の著者 哲学者の梅原猛さんは 宮崎県発行季刊誌「Jaja」のインタビューで「霧島には高千穂という山(高千穂峰)はあっても地名は無く、稲作にも向いて無い事から、高千穂町の方と考えるべきかも知れない。」とコメントしている。

江戸時代の国学者 本居宣長は高千穂には二つの説があるものの「彼此を似て思へば、霧嶋山も、必神代の御跡と聞え、又臼杵郡なるも、古書どもに見えて、今も正しく、高千穂と云て、まがひなく、信に直ならざる地と聞ゆれば、かにかくに何れを其と、一方には決めがたくなむ、いとまぎらはし。」と、どちらにも決めることが出来ないと述べている。

 当サイト内関連ページ
高千穂町のくしふる峰にあるくしふる神社
 リンク
宮崎県のWebPage 神話と伝承101より 「高千穂峰と降臨」

本居宣長 古事記伝 巻十五 (文化5年(1808)版 町立高鍋図書館蔵)
「天孫降臨」の地、二つの高千穂について書かれた一部分。(霧島山の噴火のことも書かれている。)
本居宣長 古事記伝 巻十五 (文化5年(1808)版 町立高鍋図書館蔵)

“彼此を似て思へば、霧嶋山も、必神代の御後と聞え、又臼杵郡なるも、古書どもに見えて、今も正しく、高千穂と云て、まがひなく、信に直ならざる地と聞ゆかば、かにかくに、何れを其と、一方には決めがたくなむ、いとまぎらはし。/古事記伝 十五之巻”

本居宣長は、二説併記以外に、移動説も提示

“つづら思ふに、神代の御典に、高千穂峯とあるは、二処にて、同名にて、かの臼杵郡なるも、又霧嶋山も、共に其山なるべし、 其は皇孫命初て天降坐し時、先二の内の、一方の高千穂峯に、下着賜いて、それより、今一方の高千穂に、移幸しなるべし、 其次序は、何か先、何か後なりけむ、知るべきにあらざれども、終に笠沙御崎に留賜へりし、路次を似て思へば、初に先降着賜ひしは、臼杵郡なる高千穂山にて、其より霧嶋山に遷坐して、さて其山を下りて、空国を行去て、笠沙御崎には、到坐しなるべし / 古事記伝 十七之巻”

高千穂峰山頂の天の逆鉾

天の逆鉾 鉄あるいは銅製、長さ138cm、周囲26cm 霧島東神社(宮崎県高原町鎮座)の社宝

天の逆鉾はいつごろから・・・

文献の中に最初に天逆鉾が登場するのは江戸時代(1675年)橘三喜という人の旅行記の中。

天の逆鉾を立てたのは・・・

様々な説がありますが、一説には信仰深い山伏の一人が置いたといわれ、また一説には薩摩の島津義久が勢力拡大の一環として伝承に沿った逆鉾を鍛冶屋に作らせ立てたとも言われています。いずれにせよ真相は闇の中です。

逆鉾は一時期は柄だけだった・・・

霧島の度々の噴火により鉾先が折れてしまい、柄だけの時代があったようです。
これは江戸時代の(*2)木下逸雲の記録でも確認できます。(龍馬が登った時は、すでに柄だけだったようです。)
鉾先は都城市吉之元町の*荒武神社の御神体として祀られていたそうですが、戦後の混乱の中で紛失してしまったと言われます。

尚、現在ある逆鉾の鉾先は後付のもので、いつ誰が付けたかは分かっていないそうです。

 参考 高原町公報紙 PDF (参考文献 大學康宏「歴史の散歩道」) より 


* 荒武神社にある、奉賛会による由来文によると“鳥羽天皇の天永3年(1112年)2月2日に霧島山が大噴火し、頂上の逆鉾が西嶽村山中の不動石に落下し、荒武神社にご神体として奉安された。”と記載されているようです。

Wikipwdiaによると“柄の部分は地中に残っており、刃の部分は回収され、島津家に献上され、近くの神社(荒立神社の事かと思います。)に奉納されたが、その後も様々な人手を転々と渡って現在は行方不明となっている。”とあります。(出典元不明)

*2 幕末長崎の画家、木下逸雲の「霧島山に登るの記」(文政11年(1828年))の小文に、この天の逆鉾図が大きく正確に描かれている。

高千穂河原周辺案内図天の逆鉾 [撮影MORIMORI]


冠雪した高千穂峰と鹿児島空港へ向かう航空機の飛行機雲冠雪した高千穂峰 ひなもり岳より



 

霧島山(高千穂峰)の標高は、2014年4月1日より、1574mとなります。というか・・変わらない?


国土地理院は2014年3月26日、日本の主な山岳1003の内、、48の山について標高を1m高く、39の山について1m低く改定すると発表。人工衛星を使った精密な測量データなどを反映した結果、標高の数値を見直すことになったようです。
今回標高が変わった山の一覧 → PDF(国土地理院)

今回、高千穂峰は これまでより1m高くなり、1573m → 1574mとなるようです。
実は、高千穂峰の場合、 いままで 1573m / 1574m混在しているようでして・・・。
経緯を調べると、1895年(明治28年)の測量で高千穂峰の標高は1574mとなっておりましたが、2005年の調査で、1573mに訂正されたようです。
しかし、2013年11月発行霧島トレッキングマップ霧島ジオパークパンフレットなど公的機関が出した印刷物や、公式サイト(例:高千穂河原ビジターセンター)等では、1,574メートル表記と表記しているなど、理由・経緯はわかりませんが、2005年の調査結果が反映されてないものも少なくないようです。 

試しに、(2014年3月28日時点で)Google検索で、「高千穂峰 1574」で検索すると 約 233,000 件 「高千穂峰 1573」で検索すると 約 230,000 件で、ほぼ同じ位のページが存在しているようです。

これを機に、高千穂峰=1574mが浸透して行くことでしょう。
 
夢見ヶ丘より見た霧島連山
その他の画像リンク (新しいウインドウで開きます)
夢見が丘第二駐車場より見た霧島連山 |高千穂峰と空と雲 |冠雪した高千穂峰
高原町から見た霧島連山御池より見た高千穂峰菜の花と霧島山都城盆地より見た霧島連山
夕焼けに浮かぶ霧島山
高城町より見た夕日の霧島連山 01高城町より見た夕日の霧島連山 02高城町より見た夕日の霧島連山 04



別ページ(同一ウインドウで開きます)
夕日に浮かぶ霧島の山々(高城町にて撮影) 


都城市 金御岳から見た霧島連山(中央が高千穂峰)

都城市 金御岳から見た霧島連山(中央が高千穂峰)
高千穂峰は鹿児島県との県境になります。

日向神話、ニニギノミコト天孫降臨の霊峰です。
霧島山は天候が変わりやすい地につき十分留意を。

 -謝辞-
高千穂峰登山の[撮影者ヤマコー]表記のある画像は友人のヤマコーさんが撮影した画像です。
また、上の韓国岳より見た新燃岳、高千穂峰は友人の西ブーさん撮影です。 写真提供ありがとうございました。

宮崎自動車道、山之口PA辺りから見る高千穂峰の姿は特に美しいです。

ページ説明文作成にあたり一部参考にした資料 みやざき百山 (社)日本山岳会宮崎支部著 ひむか神話街道を行く (宮崎県) 他
日向神話 神々の系図

高千穂峰(たかちほのみね)-霧島連山-


-2004/11/23作成UP 2010/07最終更新-

「霧島ジオパーク」 霧島連山一帯は、2010年9月14日、日本ジオパークに認定されました。

ネットで予約できる鹿児島のホテル旅館等をまとめたもの



当サイト内検索(画像も)出来ます。


 
みやざき
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まだまだ、紹介しきれておりません。宮崎県には良いところ・美味しいものがたくさんあります。

WEB(写真)では伝えきれません!是非あなたも宮崎県へいらしてください!

 
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