高千穂峰(宮崎県高原町)登山 |
高千穂峰登山北緯31°53′11″ 東経130°55′08″ 標高 1,574m※ 高千穂峰は、鹿児島県-宮崎県間にまたがる霧島連山の一部です。 宮崎県県北部にある、高千穂峡等で有名な高千穂町とは県南/県北、正反対の位置です。 (名前が同じ「高千穂」故、勘違いされる方もいらっしゃるようですので・・一応書きました。) このページに掲載した登山の写真 / 記録は、2011年1月に、新燃岳がマグマ火する前のものです。 前々から高千穂峰 (1574m)には是非登りたいと思っていた。(※標高は2014年4月1日より1574mに訂正。) もちろん登山をしてみたいというものあるが、それ以上に、高千穂峰は宮崎(日向の国)に住む者の一人、日向神話に興味がある私にとって、それは迩迩芸命(ニニギノミコト)が天孫降臨したという伝えられる霊峰であり、他の山にはない何か一種独特の印象を受けていた山であったからだ。 お龍を伴い高千穂峰へ登った坂本龍馬は、この光景を見て、此所ニきり島ツヽジヲビタヾシクアル 此穴ハ火山のあとなり渡り三町斗アリ すり鉢の如く下お見るニ おそろしきよふなり と、慶応2年12月4日付、姉、坂本乙女宛の手紙に書いております。 宮崎県高原町に位置する高千穂峰は、二説ある一つの天孫降臨の地であり、一方の天孫降臨の地である宮崎県の県北、高千穂町のくしふる神社のあるくしふる岳より始まる宮崎の観光街道、「ひむか神話街道」の終点でもある。 霊峰高千穂峰の頂上に立ち、是非ともこの目で山頂の迩迩芸命(ニニギノミコト)が降臨に際し、逆さに突きたてたという鉾「天の逆鉾(あまのさかほこ)」を見てみたかった。 天孫降臨について(日向神話)天孫降臨は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上の国へとつわかし、天孫による支配を確立するきっかけとなった。迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を、古事記では「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」、日本書紀では「日向の高千穂のニ上の峰」 と伝え、これにより 高千穂峰つまり宮崎県西諸県高原町が日本発祥の地である とする根拠となっている。 この天孫降臨の地は、ここ高原町と宮崎県内でも北部に位置する西臼杵郡高千穂町の二説がある。 高千穂峰登るぞ〜問題はあちきの体力だ(~~) 最近どこに行くのも車で・・足腰に全く自信無し、おまけに少し早足で歩いただけでもゼーゼー、坂を登ろうものなら心臓パクパク・・・ 筋肉と言えばおさえればフォアグラ状態、ふやふや(ァゥ!)休み休み、無理はしない、注意しながら登ればなんとかなるかな・・ ミヤマキリシマも撮影したいぞ〜。 ・・・と 言う事でなんとか高千穂峰無事登って来ました。 以下はその際のレポです。 現地周辺MAP(地図) (----登山道、-----今回のルート) ※ 宮崎/鹿児島のホテル・旅館は上記地図の〔宮崎〕or〔鹿児島〕→〔希望のエリア〕をクリックしてください。 高千穂河原より 2013年3月撮影
News
霧島連山登山規制情報こちらのページを参照してください。 → 霧島山登山規制情報(概略図あり)専門家は、「新燃岳火口縁を通る霧島連山の縦走(韓国岳→高千穂峰)は、(2011年のマグマ噴火から)10年単位で考える必要があるであろう」との見解を示しています。 2014年6月
ごみの散乱防止や登山客の利便性向上に向け、環境省は霧島連山・高千穂峰山頂に、個室の携帯トイレブースを設置した。市販の携帯トイレを利用できるよう便座が設置されている。 川崎の女性ら2人 規制中の登山道で遭難騒ぎ (2013/10/27記) 2012年GW初日・入山規制中の高千穂峰に登山、迷った2人を救助 登山禁止(入山禁止)の霧島・高千穂峰で遭難騒ぎ 霧島山の火山活動や天気の急変に注意を!チラシ (PDF) 当方撮影の雲海写真も・・ 以下は 過去の記録 (アーカイブ) 新燃岳火口より3Km以内には立ち入らない様、呼びかけ(気象庁)気象庁は1月31日未明、新燃岳火口内の熔岩ドームが直径500mに達し、火砕流の恐れもある為、新燃岳火口より3Km以内に立ち入らない様に呼びかけています。(噴火警戒レベルは3のまま) 今回、新たに大浪池の登山道の一部も立入禁止となったようです。 高千穂河原にも直径7〜8cmの噴石2011年1月27〜28日には新燃岳から7Km離れた高千穂河原で、直径7〜8cmの噴石の飛散が確認されたようです。新燃岳の火山活動が落ち着くまでは当面、韓国岳・高千穂峰等近辺の山への登山は様子をみた方が良いかと思います。 2009年の登山者数は2万9800人環境省が高千穂河原登山口に設置した赤外線カウンターで調査した2009年の高千穂峰登山者は2万9800人だったようです。 大河ドラマ「龍馬伝」鹿児島ロケNHKは9日、大河ドラマ「龍馬伝」第3部で坂本龍馬と妻お龍が旅行した霧島でのロケを予定していることを明らかにした。龍馬とお龍の、「日本初」とされる新婚旅行は、第3部の最終話となる38回(9月19日放送予定)タイトル「霧島の誓い」で取り上げる予定とか。 龍馬とお龍は、高千穂峰に登ったそうですから、是非とも龍馬伝でも登って欲しいですね。 当サイト内関連話題→ 龍馬伝 第三部長崎ロケ、鹿児島ロケ 龍馬伝 鹿児島霧島ロケ (鹿児島ロケは7月27日、28日、 27日に高千穂峰ロケが行なわれました。きっと天気が悪かっただろうなぁ) 霧島山(新燃岳)再びレベル2に(噴火の兆候)2010年5月6日、霧島山新燃岳噴火警戒レベルを1(平常)から2(火口周辺規制)に引き上げ、火口から1キロ以内への立ち入が再び禁止されております。(韓国岳への縦走は出来ません。) もうすぐ・・見頃のミツバツツジも今年はお預けのようです。(5月6日) 新燃岳再びレベル2に / 最新情報は気象庁火山情報で。 霧島連山・新燃岳の噴火の兆候は認められなくなり警報解除が発表されました。(2008/10/29) 2008年8月高校生の方が滑落遭難大ケガ(翌日救助)、 10月75歳の方が滑落亡くなられております。十分ご注意ください。 [上記は大浪池登口付近にあった案内板を撮影、画像処理の上加筆したもの] 変則的な形での県境、高千穂河原、御鉢は鹿児島県、 高千穂峰が宮崎県というのが興味深い。→[MAP(地図)] |
New 〔関連TV放送のご案内〕 にっぽん百名山 「霧島山」 BSプレミアム 2014年6月9日(月) 午後7時30分〜8時00分 BSプレミアム 2014年6月15日(日) 午前6時30分〜7時00分(再) BSプレミアム 2014年6月19日(木) 午前11時00分〜11時30分(再) “経験豊富なガイドに導かれ、わかりやすく、今の時代感覚にあった"ヤマタビ"の魅力を伝える「にっぽん百名山」。9日は霧島山。最も秀麗とされる高千穂峰(たかちほのみね)と最高峰の韓国岳(からくにだけ)を登る2泊3日の山旅をお伝えします。” 〔情報〕 高千穂峰の標高は、2014年4月1日より 1573m → 1574m になります。 → 詳細 〔情報〕 火山噴火予知連絡会は2014年2月25日、「地下のマグマだまりが2013年12月頃から膨張する傾向にあり、今後の推移に注意する必要がある」と発表した。 マグマだまりの膨張のほか、2013年12月〜2014年1月には、新燃岳に隣接する 大浪池及び韓国岳付近を震源とする地震が発生し、新燃岳の火口直下でも2月20日頃から地震が増加しているとのこと。 テレビ番組のご案内 BSTBS 6月8日(土)21:00〜 日本の名峰絶景探訪・神々が住む・高千穂峰 関連テレビ番組のご案内 2013年5月10(金)21:00〜(再放送 5月15(水)8:00〜) BSプレミアム 新日本風土記 「霧島連山」 宮崎県高原町がメインと思われます。 番組サイト 高千穂峰へは、皇子原公園、霧島東神社からのルート(共に3.5時間程)と、今回私が登った鹿児島県側の高千穂河原のルート(1.5時間程)がある。 今回私が登った高千穂河原からのルートは一番登りやすく、短時間で登れるルートです。 日向神話云々を語るなら・・ 本来なら、神武天皇が幼少時代を過ごした、ゆかりの地、皇子原公園側から登頂すべきなのですが、体力不足と経験不足につき、安易な鹿児島側からのルートを迷わず選択しました。(~~;) 霧島東神社近くからも登山道がありますが、なれた方向きの分かりにくいコースのようで、道に迷ったり、遭難事故が何度か発生しておりますので、十分ご注意ください。 宮崎側からのルートはいずれ登山経験を積んで・・と・言う事で・・。 その前に体力もつけてと言う声もチラホラ(笑;) 高千穂河原から高千穂峰までの距離は2.3Km標高差は600m。 私は、周りの景色を撮影しながら(実は休憩しながらとも言う)の登山でしたので2時間程度かかりました。 ◆高千穂峰 (1,573.7m) 宮崎県西諸県郡高原町 MapionMap GPS N=31.53.10/E=130.55.08 辺り 国土地理院提供地図リンク ◆高千穂河原ビジターセンター (一般的な登山口) 鹿児島県姶良郡霧島町 MapionMap GPS N=31.53.08/E=130.53.45 辺り 高千穂河原周辺案内図(PDF リンク先 霧島観光サイト) ◆国立公園霧島略図 1 2(自然保護対策協議会発行) 霧島エリアマップ(PDF リンク先:霧島屋久国立公園〔屋久島と分割・現在は霧島錦江湾国立公園〕霧島地域略図 企画:パークサービス・自然公園財団) |
霧島山登山縦走やはり霧島の楽しみは山歩きでしょう。初心者でも安心のコース等、霧島の山歩きは多彩です。 |
高千穂峰登山で撮影した写真[画像の一部はクリックすると拡大します。] 高千穂河原から御鉢の山頂部までは鹿児島県霧島市で、鞍部より高千穂峰山頂は高原町となる。高千穂峰登山開始高千穂河原の駐車場に車を駐車(410円)、かつて霧島神宮があった古宮址脇より高千穂峰登山道へ入る。 石畳の道はやがて火山の赤い石、砂となって行き、辺りの樹林が無くなると高千穂峰の寄生火山である御鉢斜面の登山となる。この火山礫ガレ斜面は、足場の良いところを選んでよじ登って行くという感じです。軍手が必要です。 |
途中で振り返ると、こんな感じです。 遥か向うに高千穂河原が見えます。 |
。 そろそろ 御鉢の火口付近です。この辺りでは中岳、新燃岳、韓国岳等霧島連山が目の当たりに見えます。 |
高千穂峰寄生火山、御鉢高千穂峰寄生火山御鉢登頂、右側の斜面はミヤマキリシマでピンクに染まっております。 御鉢(おはち)の火口。(直径およそ500m) 現在も噴気を上げ活動。 御鉢火口全景パノラマ写真(この画像のみ撮影4月) 同じじような写真ですが御鉢のページもご覧ください。 |
御鉢の火口縁北側(馬の背)の登山道を歩きます。(御鉢火口内及び南側火口縁は,引き続き「立入禁止」) |
いよいよ高千穂峰やがて、主峰高千穂峰の黒い姿が! ミヤマキリシマで一部の斜面がピンク色に見える。 うわぁ あんな急斜面を登るのか。 |
御鉢火口壁から主峰への鞍部へ下りるて行くといよいよ高千穂峰への最後の登りだ、この辺りは「背門丘(せたお)」と呼ばれ、霧島岑(みね)神社がもともとあったとこらしい。休憩をとるのにも良いポイントだ。(おそらくこの辺りは火山ガスは大丈夫だったはず)最初は傾斜も緩くわりと足場も良く、登りやすい・・が・・、 |
徐々に傾斜も厳しくなり、火山噴出した大きな石、火山礫、砂礫 で足をすくわれ脚力の無い私は辛くなって行く。 |
〜中略〜 頂上付近 途中の画像がないのは正直登るのに精一杯で写真を撮ってる余裕などなかったからかも知れない。 頂上少し手前付近は、滑り止め丸太も流され、さらに荒れており、登り辛い。 慌てず 慌てず 頂上を目指す。 おお!日の丸が見えて来た! |
高千穂峰 登頂!来た来た!ついに来た!念願の高千穂峰山頂、先端にはあの天孫降臨伝説を今に伝える天の逆鉾。 360°の大パノラマ、ミヤマキリシマを堪能、疲れも一気に吹き飛ふ。 |
← 天の逆鉾(あまのさかほこ)鉄あるいは銅製、長さ138cm、周囲26cm 霧島東神社の社宝 天逆鉾はいつごろから・・・ 文献の中に最所に天逆鉾が登場するのは江戸時代(1675年)橘三喜という人の旅行記の中。 立てたのは・・・ 様々な説がありますが、一説には信仰深い山伏の一人が置いたといわれ、また一説には 薩摩の島津義久が勢力拡大の一環として伝承に沿った逆鉾を鍛冶屋に作らせ立てたとも言われています。 いずれにせよ真相は闇の中です。 一時期は柄だけだった・・・ 霧島の度々の噴火により鉾先が折れてしまい、柄だけの時代があったようです。 これは江戸時代の木下逸雲の記録でも確認できます。 (龍馬が登った時は、すでに柄だけだったようです。) 鉾先は都城市吉之元町の*荒武神社の御神体として祀られていたそうですが、戦後の混乱の中で紛失してしまったと言われます。 尚、現在ある逆鉾の鉾先は後付のもので、いつ誰が付けたかは分かっていないそうです。 参考 高原町公報紙 PDF (参考文献 大學康宏「歴史の散歩道」) より * 荒武神社にある、奉賛会による由来文によると“鳥羽天皇の天永3年(1112年)2月2日に霧島山が大噴火し、頂上の逆鉾が西嶽村山中の不動石に落下し、荒武神社にご神体として奉安された。”と記載されているようです。 Wikipwdiaによると“柄の部分は地中に残っており、刃の部分は回収され、島津家に献上され、近くの神社(先の荒武神社の事かと思われます。)に奉納されたが、その後も様々な人手を転々と渡って現在は行方不明となっている。”とあります。(出典元不明) *2 幕末長崎の画家、木下逸雲の「霧島山に登るの記」(文政11年(1828年))の小文に、この天の逆鉾図が大きく正確に描かれている。 |
下山足元の浮石は一旦転がりだすとなかなか止らないで落ちて行く。転がらぬ様十分注意をしながら一歩一歩踏みしめて下りる。登りより楽であるけどかなり神経を使う。砂利、砂に何度か足をくすわれつつも無事下山。 高千穂河原売店脇にある足洗い場で足を洗う。 山水なのであろう、凍る程に冷たく気持ちがいい!水飲み場の水も冷たくおいしい! もう少し体力を付けなくては・・・ 当サイト内、えびの高原/霧島関連ページ|えびの高原|えびの高原池めぐり|大浪池|高千穂峰|韓国岳登山|中岳登山|甑岳登山|新燃岳登山|獅子戸岳|新湯登山道|ひむかブログ霧島山登山|霧島神宮|ミヤマキリシマ|霧島えびの関連BBS|えびの霧島周辺MAP(地図)リンク&GPS| |
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帰路途中、山田町より撮影した高千穂峰 |
2005/05 霧島の山一覧(並びは山の歴史の古い順になっています。 参照資料:霧島ジオパーク推進連絡協議会パンフレット)
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