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西都原古墳群 - 男狭穂塚・女狭穂塚 - 方墳(171号墳) |
男狭穂塚・女狭穂塚Imperial Mausoleum Reference Places男狭穂塚(おさほづか)(全長約175m、後円部直径約132m、後円部高さ約18m)男狭穂塚は、日本最大の帆立貝形古墳。ニニギノミコトの陵墓として宮内庁陵墓参考地(可愛山陵参考地)となっている。 女狭穂塚 (めさほづか)(全長約180m、後円部直径約96m、後円部高さ15m)女狭穂塚は 九州地方で最大の前方後円墳。コノハナノサクヤビメの陵墓として宮内庁陵墓参考地となっている。、 男狭穂塚とともに宮内庁陵墓参考地に指定、現在は、宮内庁によって管理され、特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲外となっている。 [ご陵墓前広場より 男狭穂塚古墳女狭穂塚古墳をのぞむ] [春・・ ご陵墓前広場や周辺は、桜に 彩られる 県内屈指の桜の名所です。 → 西都原古墳群の桜] [奥が、男狭穂塚古墳、手前が女狭穂塚古墳 四角い古墳(方墳)は171墳] レーダーを使い地中に埋もれている部分の形状などを調べている宮崎県教育委員は2006年5月31日、2005年度調査のまとめとして両古墳の墳丘の長さがこれまでの公表値より長いと発表した。 *男狭穂塚は1997年の墳丘測量値より前方部が約20m長く、約175m 女狭穂塚が約4m長い180mと特定。 どちらの古墳を先に造ったかはわかっていない。 西都原古墳群中央部には、明治28(1869)年に陵墓参考地として治定を受けた男狭穂(おさほ)塚と女狭穂(めさほ)塚の2基の巨大古墳がその偉容を誇っています。 男狭穂塚古墳は二重の周掘を有する*墳長約160m、円形部直径132m、後円部の高さ18mの、列島最大の帆立貝式古墳。近畿地方などで見つかっている首長級の前方後円墳を上る大きさで造られており同地方の支配者層との密な関係も指摘されている。 女狭穂塚古墳は、*墳長176m、後円部の高さ15mの楯型の周堀を有する前方後円墳で、九州一の規模。 この規模の古墳を造るには、一日1000人を動員した場合、農閑期を中心とした年間200日で計算すると2年半程度を要していたであろうとの事。 一応、観光サイトなので・・ちょっと 神話の関連話題も・・。両塚の築造は5世紀初めごろとか。 男狭穂塚は日本神話で、高天原から高千穂の峰に降り立ったニニギノミコトの墓。 女狭穂塚はニニギノミコトが西都の地で出会って妻としたコノハナサクヤヒメの墓と伝承されていますが・・・。 記紀などの記述で考えると・・・ カムヤマトイワレヒコノミコト(後の神武天皇)が日向の国から東征、神武天皇に即位されたのが紀元前660年とされております、それよりさらに何代も前のニニギノミコト・コノハナサクヤヒメのお墓が、5世紀初めころに作られるとは・・。 時代的にちょっと考えにくい気もします。 参考まで、以下は、日向神話を中心とした神々のの系図です。 諸説 被葬者は日向国造の始祖、大首長であったと推測される、豊国別王(トヨクニワケノミコト) [12代 景行天皇(71年〜113年)の子息]と言う説。(景行天皇は日本書紀によると6年間に渡り日向(ひむか)に滞在したと記されている。) また、男狭穂塚が、五世紀頃、諸県地方を治めていた牛諸君牛諸井(牛諸井)(モロカタノキミウシモロイ)、女狭穂塚が、その牛諸君牛諸井(牛諸井)の娘であり、16代 仁徳天皇(313年〜400年)の妃であった絶世の美女と伝えられる髪長姫(かみながひめ)という説もあります。 時代的に見るとこの説が一番有力なのかも知れません。 参考まで、古墳時代の天皇は以下となります。 15代 応神天皇 / 16代 仁徳天皇 / 17代 履中天皇 / 18代 反正天皇 / 19代 允恭天皇 / 20代 安康天皇 / 21代 雄略天皇 / 22代 清寧天皇 / 23代 顕宗天皇 / 24代 仁賢天皇 / 25代 武烈天皇 / 26代 継体天皇 / 27代 安閑天皇 / 28代 宣化天皇 / 29代 欽明天皇 / 30代 敏達天皇 / 31代 用明天皇 / 32代 崇峻天皇 周辺は*陵墓参考地 として宮内庁の管轄下にあり、樹木に覆われた周囲は柵で囲まれ、普段は中へ入る事は出来ません。(例年11月第1土、日開催の西都古墳祭りの日、一日だけ、宮内庁のはからいにより参拝の為に一部公開されています。) *陵墓参考地 : 天皇・皇后陵、皇太子の墓などの可能性があるとされている古墳。全国に46ヶ所ある。 ◆鵜戸神宮近くには鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の御陵と伝えられる古墳があります。 |
第169号墳(飯盛塚)側より見た男狭穂塚、女狭穂塚正面に見える169号墳(飯盛塚)は男狭穂の陪塚と言われる。 |
男狭穂塚、女狭穂塚 地形西都原考古博物館にて展示物(スクリーン)を撮影したもの。 |
西都原古墳群発掘年表 ページ作成にあたり、参考にした資料 西都市教育委員会西都市観光協会発行 パンフレット 特別史跡西都原古墳群 宮崎県広報公聴課発行 みやざきVol36 / 現地内板 / ひむか神話街道50の物語集 西都原古代文化を探る 日高正晴著 / 西都原古墳群 北郷泰道著 等. (実写以外の画像は現地案内板を撮影したもの、また、その画像を画像処理したものです。) 西都原古墳群を紹介するページTOP |第100号墳|第13号墳 | 男狭穂塚女狭穂塚 | 169号墳 | |4号地下式墓(111号墳) | 鬼の窟古墳 |酒元ノ上横穴墓群 | |
西都原古墳群、男狭穂塚・女狭穂塚・方墳(171号墳)の画像● '04/02up /'06/06更新 ● |
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