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髪長媛 (かみながひめ) |
-宮崎県都城市高城町にある髪長媛の像-髪長媛 (かみながひめ)「古事記」 応神天皇の条「天皇、日向国の諸県君(もろかたのきみ)の女(むすめ)、名は髪長比売(かみながひめ)、その顔容麗美(かおかたちうるわし)と聞こし召して、使いたまはむとして、喚上(めあ)げたまひし時、その太子・大雀命(おほさざきのみこと)、その嬢子(おとめ)の難波津に泊(は)てしを見て、その姿容(かたち)の端正(きらきら)しきに感(め)でて……」 五世紀頃(古墳時代) 諸県君牛諸井(もろかたのきみうしもろい)は諸県地方を治めており、この地方の豪族の娘と結婚、その間に生まれた娘、髪長媛は絶世の美人でしたので朝廷に召されました。 時の皇太子大雀命(後の第16代の仁徳天皇)は難波の高津宮に上がられた姫を一目御覧になりその美しさに心を打たれ、竹内宿祢大臣に頼んで応神天皇に請願して皇太子妃とされました。 髪長媛 ブロンズ像宮崎県都城市高城町、牧之原古墳群の中の一角に、仁徳天皇の妃であった絶世の美女と伝えられる「髪長媛」のブロンズ像が立っている。髪長媛の日向から入内の説話は「古事記」「日本書紀」両書にて同じような記事が記載されており、きわめて真実性が高いとされている。 髪長媛は同じ都城市内の早水神社にも祀られている。 西都市の西都原古墳群に、御陵墓である男狭穂塚、女狭穂塚という巨大古墳があります。 埋葬されているのは、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメという地元の伝説がありますが、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメは神話の世界、古墳時代とは違う事は明白。 現実的には、男狭穂塚が髪長媛の父である牛諸君牛諸井(牛諸井)(もろかたのきみうしもろい)、女狭穂塚が髪長媛(かみながひめ)とする説がある。 参考リンク(宮崎県サイト) 動画ひむか神話街道、高城町(髪長媛メイン) |
New 2012年10月 写真追加 平成24年(2012年)、古事記編さん1300年ということで・・再び「髪長媛」を再び撮影に行きました。久々の「髪長媛」との再開、姫は風格が増してました。 上の写真を撮ったのは、たしか10年近く前・・・ 「髪長媛」の周りに木々が繁って、思ったアングルで撮影が不可能になっておりました(^^) 秋のうろこ雲、夕日はいい感じでしたが・・木が無ければ高千穂峰も・・背景に・・が・・・。 |
日向の国におとめあり
名を髪長媛、すなわち 諸県の君牛諸井が女なり 天皇専使を遣わして 髪長媛を召し給う。 (古事記・仁徳帝紀) |
髪長媛像(都城市高城町) |
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