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師走祭り(迎え火) タイトル画像 師走祭り(迎え火) タイトル画像


師走しわす祭り(御神幸祭) - 宮崎県美郷町南郷区 -

このページでは「師走まつり」のハイライトとも言えるであろう「迎え火」の写真を紹介します。
タイトル画像は、文化財登録名称の「日向南郷神門神社・木城比木神社の師走祭り」と書きましたが、今回紹介する「迎え火」の開催される場所は、東臼杵郡美郷町(みさとちょう)南郷区です。
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師走祭り(迎え火) 師走祭り(迎え火)

師走祭り(迎え火)

百済王の亡命 親子の一年に一度の再開  師走祭り

 #師走祭りは 西暦660年、朝鮮半島の百済くだらが、唐と新羅しらぎの連合軍に攻め滅ぼされ、663年百済再興の戦いにも破れ、多くの王族、部族は日本の畿内へと亡命した。
その後、7世紀から8世紀中に日本に頻発した政治事件によってこの地、現在の美郷町と木城町に百済の王族が亡命した、という伝説を基に構成された祭りです。
 百済の王族であった父親の禎嘉王ていかおうは現在の日向市の金ヶ浜に漂着、その後、美郷町南郷区神門へ、息子の福智王ふくちおうは現在の高鍋町の蚊口浦かぐちうらに漂着、その後、木城町に住み、亡くなったのち、それぞれが神として美郷町の神門神社に、木城町の比木神社に祀られました。


師走祭りは木城町の比木神社に祭られている王子・福智王のご神体が、父・禎嘉王を祭る美郷町の神門神社まで年に一度巡行面会に来るというものです。

福智王・禎嘉王・華智王(二男) 福智王・禎嘉王・華智王(二男)

福智王・禎嘉王・華智王(二男)
禎嘉王の墓と伝わる「塚の原古墳」にて(別の日の撮影)

起源は室町時代か、それ以前

この祭りがいつの時代から始められたのか、詳しいことはわかっていないようですが、江戸後期の『筑紫日記』や『高千穂採薬記』には記載されており、すでにそのころには行われていたようです。

"江戸中期、比木は高鍋藩、神門は延岡藩、神事途中の坪谷は幕府領であったので藩域を越えて祭りが行われたということになる。 祭りの起源を江戸時代に想定することは、越境などを考慮すると困難で、両神社がある児湯郡と東臼杵郡を同じ領主が支配していたのは、中世、日向国の中北部を領有していた都於郡伊東氏で、師走祭の起源は室町時代か、それ以前まで遡るのではないかと考えられる。"(比木神楽 百済王族祭祀と高鍋神楽の広がり / 前田博仁著

旧暦の「師走」に9泊10日で行われていた

昭和23年(1947)ごろまでは、片道90キロの道程、9泊10日を巡幸しておりました。

巡幸の様子(「西の正倉院」展示物を撮影) 巡幸の様子(「西の正倉院」展示物を撮影)

巡幸の様子(「西の正倉院」展示物を撮影したもの)

旧暦12月、すなわち師走に執行されるので師走祭りと呼ばれております。
昭和23年前後より一部の行程を省略、その行程のほとんどは車を使い移動、旧暦12月14日から16日の2泊3日に短縮。現在は1月下旬の金、土、日の3日間に行われている。

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財

美郷町南郷区の神門神社と木城町比木神社のニ社合同、行政区をまたがって神幸する祭りは他に例をみないの祭りであり、民俗的にも価値のある祭りであるということで、平成3年(1991)、文化庁はこの祭りを「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択しております。

師走祭りの日程

迎え火

比木神社の氏子18名がご神体を担いで同神社を出発、日向市金ヶ浜で禊(ぎ)の行事の後、東郷町中水流の伊佐賀神社で出迎えの神門神社の一行と合流、中水流の伊佐賀神社の祭典の後、徒歩で百済の里(美郷町南郷区)に入る。
父禎嘉王の墓と伝えられる塚の原古墳にて名木(なぎ)の氏子に迎えられ、祭典の後、和やかな交歓の場、直会(なおらい)が催されます。
田の中に設けられた二十数基のやぐらやたき物に点火され、迎え火が燃え上がる中、神幸は父の待つ神門へと続く。
この火の饗宴は、故事によれば王を護った火と煙の再現であると言われています。

禊(ぎ)の行事

神門神社の森の見える約200メートル手前の観音淵にて行われます。
昔、衣類が濡れたという伝説により、衣淵とも呼ばれます。

下りまし

第3日目、神門を出発して比木へ還るのを「下りまし」と呼びます。18名の一行が一の鳥居を過ぎ、遠く比木へ去り行く神幸を、炊事道具などを手に持ち高く振って「オサラバー」と声を上げて、別れを告げる。
 (オサラバーの「サラ」は韓国語で「生きていて、また逢おう」という意味との事です。)

師走まつりの見どころ

(※時間は目安です。)
一日目(金)
 15:50頃 塚の原古墳での神事・野焼き
 17:30頃 衣渕でのみそぎ
 18:00頃 迎え火
二日目(土)
 15:00頃 ドンタロ塚での神事
 16:00頃 小丸川岸での洗濯行事
 19:00頃 - 24:00頃 神楽
三日目(日)
 11:00頃 境内でのヘグロ塗り
 11:30頃 一本鳥居でのお別れ「オサラバー」

師走祭りのハイライト「迎え火」

師走祭りのハイライトは、一日目、金曜日に行われる、高さ10mm、約30基の櫓が燃え盛る「迎え火」ではないでしょうか。
「塚の原」で神事を行った御神幸の一行は、畑の中で燃え盛る「迎え火」の中を通り、神門神社へと向かいます。

師走祭り(迎え火) 師走祭り(迎え火)

師走祭り(迎え火)


師走祭り(迎え火) 師走祭り(迎え火)

師走祭り(迎え火)


師走祭り(迎え火) 師走祭り(迎え火)

師走祭り(迎え火)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


福智王ふくちおうの御神体(袋神ふくろがみ)を奉じる比木神社の御神幸が続く

師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)


御神幸は父の待つ神門へと続く。
以前は、櫓ではなく 野焼きだったようです。
この火の饗宴は、故事によれば王を護った火と煙の再現であると言われています。

師走祭り(迎え火の中の御神幸) 師走祭り(迎え火の中の御神幸)

師走祭り(迎え火の中の御神幸)



お付きの儀 神楽奉納

神門神社 お付きの儀 神楽奉納 神門神社 お付きの儀 神楽奉納

神門神社 お付きの儀 神楽奉納


神門神社 お付きの儀 神楽奉納 神門神社 お付きの儀 神楽奉納

神門神社 お付きの儀 神楽奉納



迎え火の櫓など

師走祭り(迎え火の櫓) 師走祭り(迎え火の櫓)

師走祭り(迎え火の櫓)

青竹で作った5m程の櫓の中には木の枝を入れその上に杉の枝を差している。

師走祭り(迎え火の櫓) 師走祭り(迎え火の櫓)

師走祭り(迎え火の櫓)


師走祭り(迎え火の櫓) 師走祭り(迎え火の櫓)

師走祭り(迎え火の櫓)


師走祭り(迎え火) 師走祭り(迎え火)

師走祭り(迎え火)

迎え火が燃え盛る時間は、概ね30分程度だったと思います。
迎え火の後、田んぼでは、あちこちで直会なおらい(飲み会?)が行われておりました。

師走まつりは何度か見学しておりますが、燃え盛る炎の中、御神幸行列を近くで見たのははじめて、天をも焦がすような炎、櫓に入れてある生竹が裂け破裂する音、降り注ぐ火の粉、遠くで見るのとはまた違った体験でした。
田んぼの中から見学する際には、降リ注ぐ火の粉対策でフードのある上着が良いです。上着はダウンウエアなど化繊系の熱に弱い上着は穴か開いたり最悪着火する可能性がありますのでやめておいた方が良さそうです。

師走祭り(迎え火)アクセス・地図等の情報

住所:宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門
地図:GoogleMap Mapfan Mapion
マップコード(501 474 719*88)
緯度経度:32度22分54.89秒 131度20分0.51秒(日本測地系)
駐車場:西の正倉院・百済の里無料駐車場など付近の駐車場を利用(現地案内に従ってください)





禎嘉王の墓と伝わる「塚の原古墳」(宮崎県指定文化財(史跡))にある像

福智王・禎嘉王・華智王(二男)

禎嘉王の墓といわれる「塚の原古墳」にある像 禎嘉王の墓といわれる「塚の原古墳」にある像

禎嘉王の墓といわれる「塚の原古墳」にある像

この像は、宮崎県商工会議所連合会が、神話・伝説による地域づくりのモデルとして、主にひむか神話街道沿いのゆかりの地に、日向神話にまつわる神々や、その土地にまつわる方の像の設置を行なったものです。
(ちなみにブロンズっぽく見えますがFRP製だったと思います。)

神門神社御陵 塚の原 祠と鳥居

神門神社御陵 塚の原 鳥居 神門神社御陵 塚の原 鳥居

神門神社御陵 塚の原 鳥居


禎嘉王の墓といわれる「塚の原古墳」 禎嘉王の墓といわれる「塚の原古墳」

禎嘉王の墓といわれる「塚の原古墳」

塚の原古墳(宮崎県指定文化財(史跡))は円墳で、禎嘉王の墓で、自刃した官女数十名も埋葬されているとの伝えがある。
概要:東西10m 南北10m
  前方後円墳の形をとっていた。
 塚の原古墳の地図(Google Map)

福智王は比木神社・弟の華智王は伊佐賀神社に祀られている

福智王墓と伝える五輪塔が、比木神社鳥居の南東50m程のところにある。
福智王の弟である華智王は追手に討たれ、伊佐賀神社に祀られている。

「師走祭り」全3日間の日程詳細

※ 黄色太字は 師走まつりの見どころ
※ 過去の記録(あくまで目安)です。最新情報は公式サイトでご確認をお願いします。

師走祭り案内地図(リーフレットより) 師走祭り案内地図(リーフレットより)

師走まつり 関連資料

令和6年(2024年) 師走祭り案内リーフレット(美郷町発行)

師走祭り 関連リンク(外部サイト)

神門神社と百済王伝説(宮崎県サイト「みやざきの神話と伝承」)
日向百済王伝説(個人: ワシモ(WaShimo)のホームページより)

動画 (Youtubeへリンク)

師走祭り(美郷町)
迎え火 ドローン空撮(美郷町観光協会)

〔写真家の方へ〕

師走祭りの「迎え火」は、写真家にとっても大変魅力ある被写体なので、平日(金曜日)にも関わらず例年多くの写真家が県内外より訪れます。
御神幸が通る際は道に出ないようお願いします。
今回も数名、こういう方がいらっしゃいました。

このあたりは、どこの祭り、いろんなシーンでも共通しますが、他の方の邪魔にならないよう、気配り目配り、マナーを守り、気持ち良い見学、撮影をしたいものです。
関連話題として  高鍋神楽(比木神社神楽)ページも是非ご覧下だい。

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師走祭り(迎え火の写真を中心に紹介) - 宮崎県美郷町南郷区



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