伊東家廟所(伊東家累代墓地)九州の小京都 飫肥(おび)散策 → 飫肥メインページはこちら |
![]() 日南市飫肥(おび) 場所 [Mapfan] 緯度経度 N=31.37.16.2 E=131.20.55.8(日本測地系) いおし神社 小村寿太郎墓も隣接しておりますので、あわせてどうぞ。 |
飫肥藩 伊東家飫肥藩伊東家は、日向国飫肥城を中心として、現在の日南市及び宮崎市の南部、宮崎市清武町、宮崎市田野町を領有した外様大名である。初代藩主は祐兵で十三代藩主祐相の時に明治維新を迎えた。 当初、飫肥藩の石高は二万八千石であったが、地検を繰り返し、慶長十年(1605年)には五万七千八十石まで増禄した。 その後、三代藩主祐久が弟祐豊に三千石、四代藩主祐由が弟祐春に三千石を分知して、明治維新まで五万千八十石を維持した。 飫肥藩主伊東家の菩薩寺は、国許においては旧報恩寺(現在のいおしじんじゃ神社(写真左)で江戸においては二代藩主祐慶が建立した東禅寺(港区品川)であった。 |
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伊東家廟所(伊東家累代墓地) 日南市指定文化財 廟内右手にある三基の大きな層塔は、洞林公祐実(飫肥藩第五代)、天受公祐之(第七代)、玄徳公祐丕(第十二代)の本墳である。 中央には金柏公義祐(三位入道)以下歴代藩主の僑墳がある。右手奥の六輪を頂く十五基は、それぞれ正室のもので、その出自を示す家紋が刻んである。奥の左隅の墓は、天正遣欧少年使節「伊東満所」の母である「町の上」の墓と伝えられている。 左手前に並んだ卍字入りの八基は、いずれも藩主の死に殉死した忠臣建ちの墓で「追腹」のノミ跡もいたいたしい。その一つには「伊東修理大夫追腹 米良勘之助、行年二十八才」とある。 / 日南市観光協会 |
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![]() 5代藩主 祐実(すけざね) 12代藩主 祐丕(すけひろ) 7代藩主 祐之(すけゆき) ■写真 左 左より 9代藩主 祐福(すけよし) 6代藩主 祐永(すけなが) 3代藩主 祐久(すけひさ) 初代藩主 祐兵(すけたけ) 2代藩主 祐慶(すけのり) 4代藩主 祐由(すけみち) 8代藩主 祐隆(すけおき) |
伊東家廟所(伊東家累代墓地)位置図現地案内板を撮影したものの一部分(掲載時モノクロ化) ![]()
歩いて周れる周辺のスポット |
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五百祀(いおし)神社 | 伊東家廟所(伊東家累代墓地) | 小村寿太郎墓 |
日南市 飫肥散策 伊東家廟所(伊東家累代墓地)-このページが宮崎観光/宮崎旅行のお役に立てれば幸いです- - 2013/09- The contents of this site are written in Japanese only Please use English translationsite. |
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