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「木花神社」ページ

木花神社 (きばな神社)

木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)ゆかりの地


木花神社 鎮座地 宮崎市大字熊野字木花の台地
地図:GoogleMap Mapfan Mapion マップコード( 843 247 814)
緯度経度:N=31.49.28.7 E=131.26.5.8 (日本測地系)
県道からの入り口がわかり辛いので要注意。神社鳥居の前の坂を数十メートル程進むと、途中左側に数台分の駐車スペースがあります。
JR木花駅から徒歩約15分
Kibana Shrine

 木花神社 (きばな神社)


以下は現地にありました、案内文より引用したものです。 

日向神話に縁も深い 木花神社 (地元の人々に権現様とも呼はれている)


ご祭神

木花神社 鳥居 02日子番能邇邇芸命(ヒコホノニニギノミコト)
 (天照大神の孫神、天孫降臨の神、日向高干穂に降臨した天皇家の祖先)

木花佐久夜毘売 (開耶姫とも書く)(コノハナサクヤビメ)
 (邇邇芸命の妃、山幸彦〔彦火火出見命]、海幸彦の母神、大山津見神(オオヤマツミノカミ)の姫、安産の神)

ご由緒

「古事・日向三代」に登場する、邇邇芸命の行宮の跡と伝えられ、佐久夜毘売が火を放って無事出産した、三皇子生誕の産屋「無戸室」(うつむろ)の跡、産湯に汲んだ泉と伝えられる「桜川」(謡曲「桜川」の舞台にもなった)があり、又近くに、佐久夜毘売の生家があったと言われる吾田屋敷跡も残っている。

又、往時の神仏混淆にもとずいて「法満寺」があったが、明治五年廃寺になり、現在唯一「阿弥陀堂」が残っており、奉られている「阿弥陀如来像」は宮崎市指定有形文化財となっている。

字 木花地区の氏神である。
創建ははっきりしないが、約四百年前の記録「飫肥紀行」(都於郡藩主伊東三位入道義祐記)の中に、「木花神社と法溝寺」のことが見られるので、それ以前の事だと思われる。
現在社殿に保存されている棟札には、1735年(亨保)、1755年(宝暦)、1778年(安永)、1808年(文化)等のものが有り、飫肥藩主(伊東氏)の武運長久、百穀成就、万民豊楽、子孫繁栄等の願文が記されている。
木花神社 鳥居と階段 01木花神社 稲荷神社 大将神社
明冶22年、村制設置の際・隈野村、加江田村、鏡洲村が合併して「木花村」となったのは、この地に伝わる「木花佐久夜毘売」の神話・伝説・伝承によるものと思われる。

更には、戦没者(日清、日露、から大東亜戦争に至る263柱)慰霊碑があり木花の聖域とされている。

例祭日

春奉り (旧2月9日) 、 秋祭り (旧9月9日) 火祈祷(鎮火祭、秋祭り時)

*以上現地にていただいた案内の文章からの引用でした。



江戸時代後期の頃書かれた木花神社周辺の絵

 (現地案内板 2枚 クリックすると拡大します。)
江戸時代後期の頃書かれた木花神社周辺の絵江戸時代後期の頃書かれた木花周辺の絵

尚、古事記では木花之佐久夜毘売日本書紀では木花之開耶姫と表記、また、古事記では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、日本書紀では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としているようです。
さらに近年では「木花佐久夜姫」も良く用いられます、以降の文章では「木花佐久夜姫」を用います。観光向け、サイトページ内の名称統一の為であり、他意はありません。

霊泉桜川


冷泉桜川
木花神社の御祭神木花佐久夜姫が三皇子を出産された時、産湯に使ったとされる伝えがある霊泉である。

藩政時代は飫肥藩主伊藤氏が木花神社参拝の折は必ず愛飲し、地元住民もまた飲料水として保存して来たが、近年湧泉量減少したのは惜しいことである。 (現地案内文より)

冷泉 桜川 2 霊泉桜川の伝説

昔この泉のほとりに貧しい夫婦ものがいた。
その桜木(子ども)はそれを見かね自ら人買に身を売り金を家に残して人買に連れ去られた。
母はそれを嘆き悲しみ我が子を探し求めて旅に出、3年後の後、常陸の国桜川で今は僧になった桜子にめぐり合い母子ともにこの地に帰り幸福に暮らしたという。

桜子は木花佐久夜姫命に祈願して授かった申し子であったのでご神霊の加護によって我子を探し当てたのであると伝えている。
この伝説は謡曲「桜川」となりこの地に語り伝えられ世に知られている。  平成5年月木花区会(現地案内文より)

無戸室(うつむろ)


天神迩迩芸命(ニニギノミコト)はこの地で国神大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)をみそめられ結婚されたが、そのご懐妊について天神からあらぬ疑いをかけられた。
そこで姫はその疑いをはらし天神の御子である事を立証しようと、出産に当って戸の無い産屋を建てさせ、粘土で塗りふさぎ火をかけて三皇子を次々にお産みになった。
無戸室(うつむろ)
産屋は戸をすべてふさいでしまった事から無戸室(うつむろ)と呼ばれ、その跡とされるものが神社境内にある。(左写真)

その火の真盛りにお生まれになった御子は火照命(ホデリノミコト)、次の子は火須勢理命(ホスセリノミコト)、火が衰え鎮まる時に火遠理の命またの名を日子穂穂手見命(ヒコホホデノミコト)が生まれた。

このご兄弟の神々が神話にある山幸彦海幸彦で、弟の山幸彦(日子穂穂手見命)は、兄神の釣針を探しに海津国に行き、海神の娘豊玉姫を妃にして帰られた。

青島にある青島神社(ここより5km程のところにある)は日子穂穂手見命、豊玉姫のご夫婦神を、その子、鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)は鵜戸神宮に、その御子、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)=神武天皇は宮崎神宮にお祀りされている。
尚、海幸彦は日南市北郷町の潮嶽神社に祀られている。

古事記では、この三代の神の系譜を日向三代といっている。 解りやすく系図にしたもの→ 日向神話神々の系図



霊泉桜川近くからの参道は表の参道ではありませんのでご注意を。

何故か桃色の手すりに思わず笑みが・やはり女性の神様だから?
(この階段は表参道ではありませんので、一度鳥居のところまで戻って、石段を登ることをお奨めします。)
境内はしばらく人が訪れた様子もなく いつもひっそりとしていて落ち着きます。
木花神社へ昇る階段 木花神社境内

木花佐久夜姫を祀る西都市の都萬神社


実は西都原古墳のある西都市の 都萬神社(つま神社)も木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)を祀り、ゆかりの地等、同じようなところがあります。 無戸室は記紀の道沿いにあります。 

参考リンク→ コノハナ伝承と都万神社

高千穂町にも 逢初川(あいそめ川)がありますのでご覧下さい。 → 逢初川(あいそめ川)





木花神社 追加画像 木花神社 追加画像 木花神社 追加画像
木花神社 追加画像 木花神社 追加画像 木花神社 追加画像


日向神話の系図

木花神社 (きばな神社)


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2012/07/19
みやざき
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