木花神社(きばな神社)宮崎市鎮座
Shinto shrine
【お知らせ】2023年3月、写真を最近撮影したものへ差し替え、記載内容も更新しました。
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木花神社 御由緒
日子番能邇邇芸命芸命
(天照大神の孫神、天孫降臨の神、日向高千穂に降臨した天皇家の祖先) .
木花佐久夜毘売(木花開耶姫とも書く)
邇邇芸命の妃、山幸彦[彦火火出見命]、海幸彦の母神、大山津見神の姫、安産の神)
ご由緒
「古事記・日向三代」に登場する、邇邇芸命の行宮(あんぐう)の跡と伝えられ、
佐久夜毘売が火を放って無事出産した、三皇子生誕の産屋「無戸室」(うつむろ)の跡、産湯に汲んだ泉と伝えられる。
往時の
神仏混淆にもとずいて「
法満寺」があったが、明治五年廃寺になり、現在唯一「阿弥陀堂」が残っており、奉られている「阿弥陀如来像」は宮崎市指定有形文化財となっている。
字木花地区の氏神である。創建ははっきりしないが、
約四百年前の記録「飲肥紀行」(都於郡藩主伊東三位入道義祐記)の中に、「木花神社と法満寺」のことが見られるので、
それ以前の事だと思われる。
現在社殿に保存されている棟札には、1735年(亨保)、1755年(宝暦)、1778年(安永)、1808年(文化)等のものが有り、飲肥藩主(伊東氏)の武運長久、百穀成就、万民豊楽、子孫繁栄等の願文が記されている。
明治22年、村制設置の際、隈野村、加江田村、鏡洲村が合併して、「木花村」となったのは、この地に伝わる「木花佐久夜毘売」の神話・伝説・伝承によるものと思われる。更には、戦没者(日清、日露、から大東亜戦争に至る263柱)慰霊碑があり木花の聖域とされている。
例祭日
春奉り(旧2月9日)
秋集り(旧9月9日)
火祈祷(鎮火祭、秋末祭り時)
出展元:現地入手資料より。
※
神仏混淆(神仏習合)
神道と仏教の二つの信仰を折衷し、融合・調和していること。
日本の神と仏教の仏菩薩は本来同体であるとする考えに基づき、両者を同じ場所にまつり、信仰すること。
神仏習合は 奈良時代に始まり、中世の本地垂迹説や神宮寺の流行を経て、
明治時代の神仏分離政策により禁止された。
※本地垂迹説
日本の仏教と神道の関係を, 仏や菩薩が 衆生をすくうために神という 仮のすがたであらわれたと 説明する考え方。
木花神社 交通アクセス・地図等の情報
鎮座地:〒889-2151 宮崎県宮崎市熊野9508
地図:
GoogleMap Mapfan Mapion
( 843 247 814)
緯度経度(駐車場の位置):
31度49分28.27秒 131度26分5.84秒(日本測地系)
県道からの入り口がわかり辛いので要注意
「そば屋」の前の交差点を山側へ曲がる。
神社鳥居の前の坂を数十メートル程進むと、左側に数台分の駐車スペースがある。
JR木花駅から徒歩約11分 〔
木花駅からの道順(GogoleMap)〕
権現山公園(木花神社)案内図
木花神社 一の鳥居
神社へは、少し急な石段を上って行く。
車の場合、駐車場は一の鳥居前を通過し 少し登ったところ 左手に数台分の空地があるので そこに駐車して一の鳥居へ戻る良い。駐車場からの(裏?)参道もあります。
無戸室(うつむろ)の跡
天津邇邇芸命は、この地で国神大山津見命の娘 木花咲耶姫を見染められ結婚されたが、そのご懐妊について天神からあらぬ疑いをかけられた。そこで姫はその疑いをはらし天神の御子であることを立證しようと、出産に当たって戸の無い産屋を建てさせ、粘土で塗りふさぎ、火をかけて三皇子を次々にお産みになった。
その火の真盛りにお生まれになった御子は、火照命、次の子は火須勢理命、火が衰え鎮まる時に火遠理命、またの名を天津日高日子穂穂出見命が生まれ給うた。
このご兄弟の神々は、神話にある山幸彦、海幸彦で弟の山幸彦は、兄神の釣針を探しに海神国に行き、海神の娘 豊玉姫を妃にして帰られた。
青島神社は穂穂出見命、豊玉姫の夫婦神を、その子 鵜葺草不合命は鵜戸神宮に、その御子神倭伊波礼毘古命(後の神武天皇)は宮崎神宮にお祀りしている。
霊泉桜川
木花神社の参道階段脇に霊泉桜川があります。
この泉は、邇邇芸命と木花佐久夜毘売が出会ったとの言い伝えが残る場所として知られ、民話「桜子物語」の舞台にも登場します。
木花佐久夜姫像
この木花佐久夜姫像は、良く目にする「木華開耶媛 作成者: 堂本印象(1929)」を基に作られたものと思われます。像台座下部に同様の絵が掲げられておりました。
両者を並べ、対比して見たところ・・気付いた事が・・
左にある二股に幹が出ている木、両者同じような位置関係ですね。ビックリ😲
像が建立されてからそれ程経っていないと思います。
像の無い頃は、石で出来た水盆のようなものがおいてありました。
10年位前の写真(像が無い頃)で確認しても、この木はありますので、意図的に後で植えられたものでもなさそうです。
狙ったのか・・たまたま偶然のことなのか・・?
以下
引用元(artsandculture.google.com)
京都府立堂本印象美術館(京都市)
木華開耶媛は、『
古事記』に登場する、木の
華のように
麗しい
女神のことである。
山を
司る
大山祇神の娘で、
天照大神の孫である
邇邇芸命の妻となった。
嫁いだ木華開耶媛は
火照命(
海幸彦)
火須勢理命・
火遠理命(
山幸彦)を生み、安産の神、美しく花を咲かせる春の女神として人々に愛されてきた。
桜・タンポポ・ゼンマイ・ツクシなど春の草花が満開の野に純白の衣を
纏って座った木華開耶媛の姿は、古代の情緒あふれる神秘性と官能性をただよわせている。なお、黒髪に添えられたぶどうの葉は、豊穣を象徴するものである。
タイトル: 木華開耶媛
作成者: 堂本印象
日付: 1929
実際のサイズ: w238 x h170 cm
タイプ: 絹本着色・2曲1隻
江戸時代後期(1735年 - 1868年)の木花俯瞰図
江戸時代後期の木花ヶ丘 俯瞰図
法満寺について
江戸時代飫肥藩領内のこの地にあった「法満寺」は木花神社境内北にある御堂内の阿弥陀如来像から推定して、かなり古い時代から存在したものと思われます。
この寺に関する記述は当時の藩主である伊東義祐の『飲肥紀行』に「木花の寺」として初めて出てきます。その後戦国時代に入り、この地は一時、島津氏領となりましたが、そのときの地頭が残した『上井覚兼日記』にも「木花寺」と記されています。
さらに豊臣秀吉の天下統一が進み、島津氏が秀吉に敗れたことにより、この寺は伊束氏の飲肥藩領」となりへ飫肥「願成就寺」末寺としての「法満寺」となります。
その後、明治九年の廃仏毀釈により廃寺となりました。
現在、この地は「権現山公園」として整備され、多くの人々に親しまれています。
阿弥陀堂
木造阿弥陀如来立像一躯(宮崎市有形文化財)
本像は、像高99.0cme、螺髪(らはつ)に禰衣(のうえ)を纏い、蓮華座に立って来迎印を結んでいます。
複数の木を組み合わせる寄木造で作られ、漆の上から金箔を粘りつける漆箔(しっぱく)、目こは水晶体をはめ込む玉眼(ぎよくがん)という技法が使われています。
これらは、東大寺南大門の仁王像を作った鎌倉時代初期の仏師快慶の作風に習ったもので、いわゆる安阿弥様の弥陀立像の一例です。
衣槢(いしゆう)がやや形式的に流れる特徴から鎌倉時代中期以降の造立と考えられ、県下に数少ない鎌倉彫刻の一例として貴重なものといえます。
「法満寺」跡の石塔群
法満寺跡石塔群整備事業について
霊泉桜川の前に咲いていた「タツナミソウ(立浪草)」
駐車場の西側斜面(霊泉桜川の前)に「タツナミソウ」が咲いていました。
タツナミソウ(立浪草)の名前の由来は、花が同じ方向を向いて咲き、波立った時の泡のようにみえることから名づけられたと言われています。
10年位前に訪ねた時より範囲がだいぶ広がってました。
表記いろいろ 木花佐久夜毘売
『古事記』では本名を
神阿多都比売、別名を
木花之佐久夜毘売
『日本書紀』では本名を
神吾田津姫、
神吾田鹿葦津姫、別名を
木花開耶姫と表記する。
読みは
コノハナノサクヤビメ、
コノハナサクヤビメ、
コノハナサクヤヒメ、または単に
サクヤビメと呼ばれることもある。
木花咲弥姫命と表記することもある。
ちなみに、神社で頂いた資料には
木花佐久夜毘売(開耶姫とも書く)や 木花佐久夜毘女と書かれているが、今回の像は「
姫」表記となっている。
近年、観光向けサイトなどでは、「木花佐久夜姫」が良く用いられます。
神話などに、それ程興味ない方でもわかりやすいよう、一般的なものにしているのかも知れませんね。
木花について(現地で頂いた資料より)
・ここは、「木花」というところ
・古事記に登場する「木の花佐久夜毘売」(このはなさくやひめ)神話た由来する地名。
・周辺には、海、山、川、林、森、野原 台地が広がり、人々が住むに適した自然環境が揃っていた。(旧石器時代からの生活の痕跡がみられる。)
・ここは、通称「木花ケ丘」と呼ばれ、木花地区の中央に位置し、眺望絶景の丘陵にあり、「木花神社」「戦没者基地(慰墓碑)」、「旧法満寺跡地(阿弥陀堂)」、「霊泉桜川」等があり、木花の聖地といわれている。
・現在は、宮崎大学が統合移転し、学園団地が整備され、又、県総合運動公園ができて「国体」の会場となり、昨今はプロ野球読売ジャイアンツの春のキャンプ地として賑わっている。
当サイト内検索(画像も)出来ます。
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