美々津(みみつ) 宮崎県宮崎県日向市美々津 MapionMap GPS N=32/20/04 E=131/36/53 辺り紀元前、神武神武天皇が宮崎の皇宮屋(こぐや)で東征の軍議を決定されて大和へ向け出発、船出の港に選ばれたのがここ美々津であったと伝えられている。 |
美々津の港や町並み余談・・2012年11月、嵐の大野君の出演するローソンのおにぎりのCMが流れてますが、このあたりがロケ地みたいです。 |
「日本海軍発祥の地」碑神武天皇は日向の国(宮崎)より東征へ向かわれた、その時お船出をしたのがここ美々津と伝えられております。 「日本海軍発祥の地」と書かれた碑の竣工式は昭和17年記(1942年)9月10日、「お船出の日」に挙行されました。 碑の設計は 平和台公園の平和の塔同様、当時の日本彫刻界の第一人者「日名子実三」(1893〜1945年:大分出身)です。 古代船は西都原古墳群から出土した埴輪舟と同一形状です。 神武天皇は45歳のとき、兄・五瀬命(いつせのみこと)らとともに国家統一を決意し、日向の美々津(みみつ)から兵をまとめて筑紫(福岡)に向かう。 出港後は、豊国(大分)、筑紫から瀬戸内海を経て、浪速(大阪)に入り、紀州に回って大和に入った。大和を平定した後に橿原宮(かしはら宮)(奈良)で即位し、初代天皇となりました。 神武天皇 お舟出伝承の地 美々津古事記では・・ 「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」 日本書紀では・・ 「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇子・舟軍(ふないくさ)を率いて東征」 「記紀」では日向のどこから出航されたかは、明確に記されてはおりませんが、日向の伝承などでは、美々津という事が伝えられております。 |
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後(のち)の神武天皇であるカムヤマトイハレヒコノミコトは、宮崎市の皇宮屋(こぐや)を拠点にしていました。「どうもこの土地は国を治めるにはあまりにも西により過ぎている。東方にはもっと良い土地があるというから、東に向けて舟出しよう」と決心。一番上の兄のイツセノミコトとシオツチノオキナから聞いていた大和(やまと)の地を目指すことを決めます。その時、お舟出するための地として選ばれたのが日向市美々津だったのです。美々津は、波の荒い日向灘にあり、耳川の河口が作る入り江は天然の港となっており、周辺には舟を造る木がふんだんにあったため舟出の適地だと思われたのです。神武天皇は天候のいい日を伺いながら、出発の日を旧暦の8月1日と決め、美々津の人々は出発に際して餡(あん)入りのだんごを差し上げようと用意をしていました。 |
立磐神社 (たていわ神社)耳川の河口に面したこの立磐神社の御祭神は、住古三神で、航海安全・漁業繁栄の神様。 神武天皇が東征の船出を待つあいだ腰かけていたという「腰かけ岩」が祀られている。 その後・・ 古事記編さん1300年記念って事で、立磐神社のページを作成しましたのでこちらもご覧ください。→立磐神社 |
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宮崎県日向市美々津(みみつ)● 2005/07-2006/01● |
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