国立公園 雲仙
雲仙は、昭和9年3月16日、瀬戸内海や、
霧島屋久とともに
日本で最初に指定された国立公園です。
その後、昭和31年になって天草地域は、さらに昭和42年には天草五橋地域が追加され現在は「
雲仙天草国立公園」となっております。
雲仙天草国立公園は、総面積28,287ヘクタール、うち雲仙地域は12,858ヘクタールの面積を持ち、島原半島のほぼ中央部に位置し、わが国屈指の火山景観を誇っています。
平成2年には
雲仙岳の主峰普賢岳が198年ぶりに噴火し、溶岩ドームや火砕流跡地といったあらたな火山景観が形成されました。
雲仙岳のおいたち
雲仙岳は、遠くから見るとひとつの山のように見えますが、実際は、普賢岳(1,359m)、国見岳(1,347m)、妙見岳(1.333m)、九干部岳(1,062m)、野岳(1,142m)などの標高1,000m級の溶岩円頂丘によって形成される複成火山です。
その規模は
東西約10キロ、南北約15キロにわたります。雲仙岳、あるいは雲仙火山という名称はその総称です。
雲仙岳の火山活動(有史以前)
雲仙岳の火山活動は、およそ50万年前に始まったと考えられています。
最初は、高岳、絹笠山、矢岳などの山々が出現し、九干部岳火丘群が形成されました。つぎの段階の活動は北側に移り、九干部岳、吾妻岳などの山々が出現し、九干部岳火丘群が形成されました。
これらの火丘群は侵食が進んだ古期の火山体で、50万年前から10万年前のあいだに噴火してできたと考えられています。
その後、およそ10万年前ごろから、野岳、妙見岳、普賢岳の順に形成されていきました。
雲仙岳火山活動(有史後)
およそ50万年前から始まった普賢岳の火山活動は有史後も3回の噴火を記録しています。
1663〜1664年(寛文3〜4年)の噴火
1663年、普賢岳の北北東約900m、標高1,200mに位置する飯洞岩から北方へ溶岩(古焼溶岩)が流れだしました。溶岩流の幅は約100m、長さは1km余りでした。翌年には普賢岳南東約600m、標高1,220mに位置する九十九島火口から出水し、赤松谷に沿って安徳河原へ氾濫し、30余名の死者が出ました。
1792年(寛政4年)の噴火
普賢岳山頂付近の地獄跡火口から噴火がはじまり、後に普賢岳北東部の琵琶の首、蜂の窪などから溶岩(新焼溶岩)が流れだしました。溶岩流の幅は220m〜360m、長さは2.5km余りでした。
またこの時は島原の
眉山が大崩壊を起こし、大量の土砂が島原の街を通って有明海へ向かって流れ落ちた。これを
島原大変という。 この時の死者はおよそ
5,000人といわれている。有明海に流れ込んだ土砂は津波を発生し、高波が、島原の対岸の対岸の肥後・天草(熊本県)に襲いかかった。これを
肥後迷惑という。肥後の海岸で反射した反動波が土石に埋もれた島原に戻り再び島原を襲った。
津波による死者はおおよそ10,000万人といわれている。島原および対岸の天草で、およそ
15,000名の死者が出たこの災害は「
島原大変肥後迷惑(しまばらたいへん ひごめいわく)」とよばれています。
関連参考外部リンク→
島原大変(しまばら歴史散策より)
1990年〜1995年(平成2〜7年)の噴火
1990年11月17日(平成2年)、九十九島、地獄跡両旧火口から白い噴煙、水蒸気を上げて噴火が198年ぶりに始まりました。
当初は火山灰も少なく溶岩ドームも形成さrませんでしたが、1991年2月(平成3年)の屏風岩火口ができてから、火山活動も活発化し、3つの火口からの大量の降灰が深江、島原方面へもたらされるようになりました。また、土石流も発生し、水無川に沿って海岸まで達しました。
1991年5月20日(平成3年)地獄跡火口に最初の溶岩ドームが出現し、その後、溶岩ドームは成長と崩壊を繰り返し火砕流が頻発するようになりました。
6月3日には成長した溶岩ドームの地滑り的崩壊によって、最大規模の火砕流が発生し、報道関係者、消防団員、警察官ら
43名の犠牲者を出す大惨事となりました。(最終的には火砕流は9,432回にも及んだ。)
その後、溶岩ドームは、第13ドームまで出現しましたが、1995年(平成7年)には、噴火活動も停止し、5月には「終息宣言」が出されました。
約200年ぶりに起きた“
平成の島原大変”は死者44名、建物被害2,511棟、被害総額2,299億円など、地域生活や経済活動に長期にわたって大きな被害を与えました。
[上記説明文は現地案内板よりほぼ引用の上、多少補記]
2008年5月に撮影した写真を6枚追加 (この日は視界もそこそこ良くやっと写真が撮れました。)
仁田峠循環自動車道路パーキングより見た平成新山と溶岩の流れ、仁田峠のミヤマキリシマ(雲仙ツツジ)
関連ページ →
雲仙のミヤマキリシマ




今回の雲仙普賢岳山歩きコース
雲仙普賢岳の場所: 長崎県雲仙市小浜町雲仙
今回のコースは一番楽に短時間で登れるコース 国道57号線〜仁田循環道路(770円)〜仁田峠より登るコース
仁田循環道路は開門時間が午前8時ですので早朝登山を希望の方は国道沿いの登山道から登る必要があります。
Mapion地図(雲仙岳の地図)
国土地理院地図閲覧サービスの地図(雲仙普賢岳周辺地図) |
雲仙ロープウェイ
場所:長崎県雲仙市小浜町雲仙551番地 中学生以上 片道610円
雲仙ロープウェイは、標高約1,100mの仁田峠駅から1,300mの妙見岳駅間(標高差175m、距離500m)を結んでいます。
定員36名(大人)が乗車でき、仁田峠駅〜妙見岳駅間を約3分で運行。
運行時間 (4〜8分毎に運行 )
夏季(4/1〜10/31) 午前8時51分から午後5時43分(上り最終5時20分)
冬季(11/1〜3/31) 午前8時51分から午後5時23分(上り最終5時11分)
詳しくは雲仙ロープウェイ
Webで。
仁田峠循環自動車道路
国道57号線より入り、仁田峠を経て国道389号へ抜ける左回りの
一方通行の有料道路(長崎県が設置)
通行時間は8時〜18時45分(11月〜3月は17時45分まです。)(時間等は要確認)
通行料金
普通車 770円 軽自動車 660円 二輪車 250円
途中の駐車場は二ヶ所あり、東端に雲仙展望所(10台程度?) 仁田峠駐車場(400台収容)
ミヤマキリシマ(ウンゼンツツジ)の時期は仁田峠駐車場付近はかなり渋滞をするようです。
今回の登山コース
夏で暑いのと、ガスが出ていたので眺望は全く望めないと即座に歩きは辞め・・(^^;)文明の利器?雲仙ロープウェイを使い仁田峠から妙見岳へショートカット(標高差175m、距離500m)後、右回りのコースで紅葉茶屋(茶屋と言っても何もない単なる分岐点です。)より普賢岳へ、帰路は紅葉茶屋よりあざみ谷を通って普賢神社仮拝殿へ降りて来るコース。
登山道は急坂も石の階段状になっており、割りと歩きやすいが油断は禁物、特に普賢岳への最後の登坂は雨の後等には結構滑りやすい部分もありますので滑落には要注意。
[雲仙登山道MAP(概略)]
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[過去に撮影した平成新山の写真]

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雲仙普賢岳登山、撮影あとがき
火山には昔から興味があり、雲仙普賢岳は是非登りたい山であった。
あいにく、夏の暑い盛りでしたが、雲仙普賢岳山頂付近は標高が結構ありますので風が吹くととても涼しく、快適な山歩きでした。
当日は道中、山頂からいずれも“下界”はガスに遮られ殆ど何も見えずという状況で、ちょっと残念でしたが、野鳥の声や、緑に癒され、山頂では平成新山が時折顔を出してくれたので良しとしましょう。
雲仙はミヤマキリシマ(雲仙ツツジ)も有名だし・・いつか、5月にも登りたいな・・。
雲仙のミヤマキリシマは、雲仙温泉の地獄地帯(標高約680m)に3万本、池の原園地と宝原園地(ともに750m)に5万本、そしてここ仁田峠に10万本が群生。地元では雲仙つつじ(ウンゼンツツジ)と呼び、「県の花」にもなっているとか。
紅葉の時期も良いと聞きますので空気の澄んだ秋にも登ってみたいものだ。
眉山の大崩壊で起きた有史以来日本最大の火山災害「島原大変肥後迷惑」の「島原大変」を書いた本、文春文庫刊「島原大変」著者白石一郎 を読んでみようと思う。
その後 雲仙のミヤマキリシマを見に出かけました。 → とりあえずブログ記事 雲仙のミヤマキリシマ |
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島原半島ジオパーク
-NAGASAKI-
2007.07Up-2008.05更新
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