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立磐神社(たていわ神社)Tateiwa Shrine立磐神社(たていわ神社)の場所: 〒889-1111 宮崎県日向市美々津町3419 地図 マップファン JR美々津駅より車で約5分 GPS N=32.20.6.3 E=131.36.51.5 立磐神社(たていわ神社)の御祭神底筒男命(そこつつおのみこと)中筒男命(なかつつおのみこと) 表筒男命(うわつつおのみこと) 神武天皇(じんむてんのう) 例祭等夏祭 6月30日 例祭 11月14日前の日曜日御由緒当社は神武天皇御東遷の際、美々津港よりお船出に当り、御航海の安全を御祈念せられて、この埠頭に住吉大神とも申し奉る、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の大神を奉斎し給うたとて、第十二代景行天皇の御代に創祀されたものである。 其後多くの変遷隆替を経ましたが、貴き伝説と特異の行事等は、今も尚連綿として継承されています。かくて永禄の頃より地頭の崇敬あり、祭礼行事も殷盛となっていました。 然るに天正六年(約四百四十年前)大友氏と島津氏との戦火にかかり、宝物文献記録等皆烏有に帰したのであります。其後元和九年に再興し、寛文宝永の頃完く旧観に復して、領主より神領を供されて社殿増築をなし、又神事ある毎に寄進あり。かくて明治初年まで歴代藩主の崇敬せられた神社であります。 更に境内には「神武天皇御腰掛岩」があり、玉垣を巡らして岩そのものを御神体として崇拝しています。 明治4年郷社に列格、やがて、昭和九年は恰も神武天皇が御船出せられて丁度二千六百年に相当するので、之を記念して国家的大祭典を挙行せらるるよう県当局へ申出し処承諾され、終に秩父宮殿下を総裁に仰ぎ、松平頼寿伯を会長に酒井忠正伯と君島知事を副会長として全国的な御東遷二千六百年祭典が斎行されました。 当社記念事業としては (1)境内を更に拡張整備した。 (2)竜神バエの岩上に住吉灯籠を摸したる神のみあかし灯台が設置された。 (3)日本海軍発祥の地の記念碑が建立された。 (4)おきよ丸御東行巡路漕舟大航軍を挙行された。これは日向国の青年百五十名が漕舟して美々津港を船出し途中天皇がその昔寄港せられたという由緒あるところに寄港しつつ、其月浪波に上陸御楯を奉持陸路橿原神宮に奉納した末曽有の大行事であった。 御東遷 二千六百五十四年 皇紀 二千六百四十八年 現地石碑参照 |
立磐神社(たていわ神社)の写真 (画像は1280pixに拡大します) |
神社本殿後の柱状摂理の「立磐」見どころの一つです。是非裏手に回ってみてください。 |
巨石は、高さ8m、周囲15mの大きさ。 神武天皇の東遷を勧めた塩土翁(住吉三神)が祭ってあったそうです。 |
神武天皇御腰掛岩これが神武天皇がお船出の際、座ったとされる有名な「御腰掛岩」です。 |
ご神木の中に・・根元の幹の空洞に小さな鳥居がありました。 |
立磐神社周辺の景色 神武東征お船出の地 美々津(みみつ)立磐神社は耳川が日向灘へと流れ込むところ、美々津大橋の近くに鎮座。 古事記・日本書紀では神武天皇は日向の国(現在の宮崎県)からお船出したと書かれております。 古事記では・・ 「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」 日本書紀では・・ 「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇子・舟軍(ふないくさ)を率いて東征」 記紀にはそこが美々津とは書かれていないようですが、日向の伝承では、美々津(みみつ)とされております。 |
関連リンク みやざきの神話と伝承101:神武東遷と美々津 宮崎県ページ(新しいウインドウで開きます) |
宮崎県日向市美々津 立磐神社(たていわ神社)-2011/02- |
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