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※このページは、都城市に鎮座する狭野神社を紹介するページです。高原町鎮座の狭野神社はこちら 狭野神社(さの神社)(都城市)Sano Shinto Shrine狭野神社(都城市)鎮座地 〒885-0083 宮崎県都城市都島(みやこじま)774 JR西都城駅より徒歩で15分 マップファン 緯度経度 N=31.42.45.5 E=131.3.6.0 狭野神社(都城市)の御祭神主祭神神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと) └(神武天皇) 創建など詳しいことは不明。 往古の社地は城内都島(みやこじま)と伝えるが、天授元年(1375年)ご神号を須久束(すくつか)大明神と称した神社を、城の北、竹之下橋の下流500mの左岸に建立遷座。 大永6年(1526年)に火災にあり焼失、同年再興。宝暦14年(1764年)修築、その後、明治2年に狭野神社と改称。 皇紀二千六百年に都城市奉祝会が建設され、その記念事業として社の移転改築をなすこととなり、昭和15年、現在地に起工、同17年11月遷座祭が斎行された。 ※ 詳しくはこちら(宮崎神宮サイト内ページ)を参照願います。 以下は現地案内文より 都島古請 この都島の地は 神武天皇皇居の御跡であって 天皇が御東征の途に上らせられて後其の御跡を汚し奉られないやうに塚を築き宮古神と稲す社を建て祀っていた。 其の後社は兵火に罹って全焼したので其の跡に樹を植え諸人の崇敬する所であったと伝えられて居る 按ずるに天皇は高原の狭野に於いて御誕生になり御育ちになって後一大勢力を養わんために沃土の中心のこの都島の地に御遷りになり此処に於いて十分の御勢力を養われて後宮崎に向かって御出発あらされたのであろう。
※狭野命がお誕生になった皇子原(高原町)から都島へ移動してきたのは、皇子原が火山噴火によって住めなくなったため、という伝承もあるようです。 関連ページ 皇子原神社 |
城山公園 と 歴史資料館この地は古くは都島(みやこじま)、島津氏の一族の北郷義久が、永和元年(1375)に築城、 ※ご覧のページは、都城市に鎮座する狭野神社を紹介するページです。霧島六社権現 高原町鎮座の狭野神社はこちら 宮崎県都城市 狭野神社(都城市)-2013/10- |
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