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宮崎県 記紀編さん1300年 神話のふるさとみやざき 温故知新ものがたり

皇子原神社(おうじばるじんじゃ)

高原町の位置(アバウト)  Oujibaru Shinto Shrine
皇子原神社の場所: 
宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田字狭野3-116 (一号墳)
皇子原公園管理事務所の住所:
〒889-4414  宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田3-251
 マップファン GPS N=31.54.10.0 E=130.57.42.4 

〔情報〕 第一回日本発祥地まつり 平成26年2月11日(建国記念の日)開催
(狭野神社〜皇子原神社 ご神幸行列など開催)

皇子原神社は、霊峰高千穂峰を仰ぐ皇子原公園西の高台に鎮座。
神武天皇 幼少名 狭野尊(さののみこと)がお生まれになった産屋があったところと云わっております。

高原町 皇子原神社 01

皇子原神社 

皇子原神社の御祭神

神倭伊波礼天皇(神武天皇) 御幼名 狭野尊(さののみこと)

皇子原神社 御由緒革

例祭日:4月8日
狭野神社末社
御神徳 安産・家内安全・交通安全・縁結び

皇子原神社 皇子原は 皇祖神武天皇のご降誕遊ばしました聖蹟であり、ことに神社後背の「産婆石」付近で降誕になられたと伝えている。それ故、当地は母君玉依姫(タマヨリヒメ)が御祭神を出産された産屋跡とも伝えられているおり、慶長3年(1598年)迄狭野神社が鎮座し、元宮の聖蹟としいぇ現在の皇子原神社を創祀している。亦、参道中段中程にある「御腰掛石」は、御祭神が日向建国のいすえを固められた所としても崇拝されている。
大正9年3月には後の昭和天皇が御参拝され、久邇宮家、秩父宮家、伏見宮家、閑院宮家、高松宮家、梨本宮家、朝香宮家、三笠宮家の歴代皇族方の御崇拝も篤く、昭和20年迄は国家行事として天孫降臨祭が挙行されている。
猶 当皇子原神社鎮座の一号古墳を中心とした六基の古墳群は、神武天皇誕生や天孫降臨にまつわる聖蹟として、記紀(古事記・日本書記)に描かれる日向神話と高原町を結ぶ根源の深さを物語っている。

以上の説明文は、平成25年(2013年)3月に訪れた際、確認した新しい御由緒より引用  


古く霧島山上に鎮座されていたと伝へる霧島狭野神社が噴火の厄難をさけて皇子原に一旦ご鎮座になり降って神仏習合時代にはこの由緒に因み「皇子原神社」を奉斎し、その復元として今日の「皇子原神社」を奉斎しているのである。
皇子原古墳群には6基の古墳があり、皇子原神社は1号古墳の上に鎮座していますが、古墳は5世紀後半の地下式横穴墓と考えられています。

以上の説明文は、以前の御由緒より引用  


みやざきの神話と伝承 によると、第30代敏達(びたつ)天皇の時(6世紀中ごろ)、狭野に移したようです。



皇子原神社の写真 (画像は1280pixに拡大します)



下記の画像は平成24年(2012年)もしくは、それ以前に撮影したものです。 
現在、神社へ通じる石段は整備され、上の写真の如く中央に手すりが追加されております。


参道には、春 レンギョウ や 桜(ヤマザクラ〜ソメイヨシノ)が咲く
高原町 皇子原神社 鳥居 02高原町 皇子原神社 鳥居と桜 03
秋 参道や周辺には多くの彼岸花が咲く 皇子原公園は彼岸花の名所です。
 
彼岸花の咲く 参道 01彼岸花の咲く参道 02


皇子原神社は狭野神社の末社です。


孝昭天皇(人皇第五代)の御代 ここ皇子原に社殿の創建があったのが、狭野神社の創祀という。
その後西暦700〜1000年の間、再三にわたる霧島山の噴火により社殿等炎上の災厄に遭う。
慶長15年(1610) 狭野神社は 現在の地に社殿を造営還座。
高原町 皇子原神社 参道石段 04高原町 皇子原神社  参道 石段 05
神仏習合時代にはこの由緒に因み「皇子原神社」を奉斎、その復元として今日の「皇子原神社」を奉斎。
高原町 皇子原神社 上部の鳥居 06高原町 皇子原神社 社 07
皇子原神社の社 後ろに、「産婆石(うべし)」という石があり、表面をなでると安産が出来ると云われております。
*「産婆石(うべし)」画像は、周辺整備後の写真(平成25年3月撮影)へ差し替え変更しました。

高原町 皇子原神社  社 08皇子原神社 うべし



神武天皇降誕之地 王子原の石碑

参道近くにある石碑には 神武天皇 王子原 降誕之地の文字がありました。
高原町 皇子原神社  石碑 10高原町 皇子原神社 石碑 文字部拡大 神武天皇 王子原11
参道の黄色い花(レンギョウ) / 「神武の館」正面
高原町 皇子原神社 レンギョウの花 高原町 皇子原公園 神武の館
神武の館には、日向神話の場面などの展示があります。(入館料無料) 

神武の館には、日向神話の場面 01神武の館には、日向神話の場面 02神武の館には、日向神話の場面 03


古墳地帯を抜け、沢沿いの遊歩道を100m程、沢に沿って下りてゆくと「皇子滝」があります。
神武天皇が幼少(幼名、狭野尊(さのみこと)の頃、このあたりで遊ばれていたところとか・・
それほど大きな滝(落差約8m)ではありませんが、近くです、訪れてみてはいかがでしょう。
皇子滝についても別にページを作成しました。 → 皇子滝

皇子原公園内のモニュメント皇子滝

県史跡 高原町古墳

高原古墳配置図 (現地案内板を撮影したもの) 地番 宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田字狭野 
 3-116(1号墳)  3-115(2〜6号墳)
指定年月日 昭和19年12月15日

高原町古墳は、別名皇子原古墳とも呼ばれており、皇子原神社を中心に六基散在しています。
大正16年のトロッコ道開設時に、六号墳付近から土器が出土したと云われています。
現状保存のため発掘調査は実施しておりませんが、現在残されている土盛りは、五世紀後半から六世紀前半に作られた西諸県地方特有の「地下式横穴墓」の墳丘と思われます。

平成16年3月31日 高原町教育委員会

300万本の彼岸花 彼岸花の名所

皇子原公園内の、古墳一帯は、秋は彼岸花の名所としても有名です。
例年、秋の彼岸頃(9月23日頃)公園内の古墳地帯を中心に「花咲く神武の里づくり実行委員会」が植えた約300万本の彼岸花彼岸花(ヒガンバナ)が咲き誇り、あたり一面は赤、緑のコントラストが見事です。 → 彼岸花の写真

彼岸花 皇子原公園 01 彼岸花 皇子原公園 02


平成24年は、古事記編さん1300年、神武天皇に関係のある「皇子原神社」のページを今回、作成しました。


 宮崎県高原町 皇子原(おうじばる)神社


-2012/04 - 2013/03最終更新 -

皇子原公園パンフレット ひむか神話街道〜神武天皇ゆかりの地 高原をたずねて〜 高原町マップ






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