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御崎神社(みさきじんじゃ)Misaki Shinto Shrine御崎神社 鎮座地 宮崎県北諸県郡三股町大字長田3580番 マップファン GPS N=31.43.42.9 E=131.9.53.2 (日本測地系) 御崎神社の御祭神大国主神(おおくにぬしのかみ)御崎神社略伝祭神 大国主神(おおくにぬしのかみ)由来 御崎神社は、大字長田字宮脇にあった御崎三所大権現(御幸大明神・美咲大明神・御前大明神ともいう、後の(ニ)新磯神社)を合祀(いっしょにして祀る)した神社である。 昭和27年9月30日 宗教法人による設立登記 神徳 祭神、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、通称大黒様といって幸運・縁結び等、人助けの神で、また開拓の神様として崇められている。 (一)御崎神社(みさきじんじゃ) この神社の創建年代は不詳 天文19.9.2(1550)大宮司秋丸伊賀の守ほか18名が再興し御幸大権現と称する。以後 明治4年(1871)の廃藩まで昌盛を極める。 明治5.6(1872)御崎三所大権現を御崎神社と改称する。 同年(1872)神社合併をすすめた明治政府によって、山王原の郷社稲荷神社に遷され合祀される。 明治9.9.24(1876)地元民の強い要望によって、復元(元の場所に戻る)。社格を村社とされる。 大正3.9.8(1914)神磯神社を合祀する。この頃から宮の講が興る。 大正4.11.8(1915)大字長田地区の産土神として、大正4年に現在地に社殿を造営し遷宮となる。 (ニ)新磯神社 この神社の創建は詳伝よると和銅元年(708-飛鳥時代)に霧島権現を迎えて祀ったとされる。 永正17(1520)伊東尹助(ただすけ)が再興し、新磯六所権現と称する。 明治5.6(1872)新磯六所権現を新磯神社と改称する。 同年(1872)明治政府により、祭神が同じであった西岳村千足神社に遷され合祀される。 明治9.9.24(1876)地区氏子の熱望により復元を申請する。 明治24.3.16(1891)申請が許可され復元する。 大正3.9.8(1914)氏子の合議により、長田宮脇の御崎神社に合祀される。 大正4.11(1915)前項、御崎神社に同じ 補記 (一)長田仮屋の宮脇には、現在、御崎神社の分社が祀られている。 (二)新磯六所権現の六柱祭神(下記-日向三神御夫婦)は、相殿として現在の御崎神社境内に祀られている。 (記)彦火瓊々杵命(ひこほににぎのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、鵜葦草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと) (三)系譜 彦火瓊々杵命は皇祖天照大神の孫で、木花開耶姫命と結婚。 その子が山幸の大神である彦火々出見命。 この命は海の神の娘である、豊玉姫命と結婚その子が鵜戸神宮祭神の鵜葦草葦不合命。この神は、玉依姫命と結ばれ、その第四子が宮崎神宮の祭神である神武天皇。 (四)語訳 産土神(うぶすながみ) 生まれた地を守る神 権現 仏、菩薩が日本の神として現れること 明神 神の敬称 氏子 神を祀る地に生まれ住む人 相殿 相等しい社(やしろ) 大国様 神様へ親しみをこめた言い方 稲荷神社 穀物をつかさどる神を祀った神社 遷宮 神体を新しい本殿に移すこと 1月1日 歳旦祭 元旦の祭事 1月8日 交通安全祈願 4月第一日曜日 例祭(春祭)棒踊り奉納 7月20日 例祭(夏祭) 六月灯 11月20日 新嘗祭(秋祭) 収穫に感謝する祭事 12月21日 大祓 家内安全祈願 以上 現地案内板を参考に記載 |
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御崎神社の写真 (画像は1280pixに拡大します) |
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宮崎県三股町 御崎神社- 平成25年8月ページ作成公開 (撮影は平成24年3月) - |
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