串間神社 串間市鎮座
Shinto shrine
串間神社は、主祭神に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、別名「山幸彦」を祀り、他十二柱の御祭神をあわせ祀る。かつては「十三所大明神」と呼ばれ高鍋藩領主の島津氏をはじめ、地域の皆様の厚いご尊崇を受け現在に至っている。
串間神社 御祭神・御由緒など
御祭神
彦火火出見尊 他十二柱
末社の御祭神 十二柱- 女躰大明神(豊玉姫神)
- 神花大明神
- 初熊大明神
- 泊柱大明神(猿田彦命、速秋都姫命)
- 勿躰大明神
- 聖大明神(点香兒山命)
- 歳大明神(倉稲魂命)
- 篠大明神
- 上津杖大明神
- 下津杖大明神
- 杖立大明神
- 児之御前
御由緒
彦火火出見尊を主祭神として他に十二柱の神々を祀るので十三所大明神と称していた。
山幸彦と呼ばれる主祭神が猪、雉などの雁ものの多いこの地を狩場として笠沙の宮から通われた仮宮所で、「穂宮(ほぐしのみや)」と称しその宮跡を斎きまつったと「神名禄」は伝えている。
「高鍋藩寺社帳」によると桓武天皇の時に平安京の朱雀院に鎮座しその後、順徳天皇の時に当地に安置したともいうが詳細はわからない。
永保六年(1563)領主島津忠親の奏請に依り神階宜下勅額を賜り、以後藩主、世々、福島総社として尊崇された。
正平十四年(1359)には、野辺盛房が十三所大明神の社殿を再興されたことが記録されており、その後応仁元年(1467)には島津立久、永正十二年(1515)、天文十三年(1544)と相次いで島津氏が再興、秋月領となっても元和七年(1621)から慶應二年(1866)まで再興が続いている。
而して明治維新後は専ら福島、北方、大束、本城、都井、市木六ヶ町村の氏神として、維持運営された。
明治五年(1872)都城県管轄中、神社改革の際、串間神社と改称し郷社に列せられる。
明治四十年(1907)旧六ヶ町村の出資により社殿を改築されたが、老朽化し損傷が著しく御接遇出来得ない状態にあり、時あたかも平成元年、串間市が市制三十五年の記念すべき年を迎えるにあたり、奉祝記念事業として昭和六十三年六月改築奉賛会を設立し、平成元年六月、工事に着工、同年十月に竣工をなし、農業の神様、学問の神、商工の神として多くの崇敬を受けている。
祭事
- 歳旦祭 - 1月1日
- 祈年祭(春祭) - 2月19日、2月20日
(五穀豊穣を祈願する神事「ねたろう祭」が二月二十日におこなわれる。)
- 夏越大祓 - 6月30日
- 例祭 - 11月13日、11月14日
- 新嘗祭 - 11月23日
- 年越大祓 - 12月31日
- 月次祭 - 毎月1日
串間市指定有形文化財
串間神社の古額1978年(昭和53年)2月3日指定
指定年月日は1978年(昭和53年)2月3日。高鍋藩の家老である隈江五郎左ヱ門が都合職に就いていた宝永元年(1704年)から享保4年(1719年)までの業績が記されている。
神楽面(10面)1978年(昭和53年)2月3日指定
古いものは文明11年(1479年)の銘がある。昭和初期頃まで、毎年12月14日に行われていた神舞祭においてこの面が用いられていた。現在は
旧吉松家住宅に展示されている。
串間神社 交通アクセス・地図等の情報
鎮座地:〒888-0004 宮崎県串間市串間1410
地図:
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(238 539 802*05)
緯度経度:31度28分54.72秒 131度14分52.24秒(日本測地系)
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