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皇宮屋(こぐや) 皇宮神社(こうぐうじんじゃ)Koguya kouguu Shinto Shrine鎮座地 宮崎市下北町横小路 / 皇宮屋の地図 (Mapfan) 緯度経度 N=31.56.14.3 E=131.24.59.6(日本測地系) GoogleMapリンク(旧社殿跡、皇宮発祥の碑、駐車場位置等も記載) 宮崎市下北方町の丘陵地に位置(宮崎神宮/平和台公園から歩いて15分程度) New 平成25年、参道下等が整備され、県道333号線沿いに駐車場が完備されました。(地図リンク参照) 前の道路(333号)からは平和台大橋方面からのみ進入可。駐車場利用時間は9時〜午後4時までです。(9/24時点) 県道333号線沿いに、「皇宮神社」と書かれた案内板が出来ておりましたので、場所はすぐわかると思います。 駐車場の位置 Mapfan 緯度経度 N=31.56.8.5 E=131.25.1.2(日本測地系) 皇宮屋皇宮屋(こぐや)とは神武天皇御東遷前の皇居跡と伝わるところで、現在は宮崎神宮の摂社に列する皇宮神社が鎮座しております。神武天皇は、諸県の高原郷の狭野原(現在の高原町の狭野)でご誕生になり、皇太子となる15歳の時、宮崎へお移りになり その後、東征に向かう45歳までお過ごしになったといわれています。ここは、今の宮崎神宮の地に宮居なさる以前の宮居の地、もしくは行宮の跡であったのではなかろうかと云われております。「瓊々杵尊日向宮崎宮に崩じ給ふ。神武天皇亦初め日向宮崎に都し給ふ。」(奈良朝末の藤原浜成の天書) 「人皇の始神武天皇日向国宮崎の郡に帝都を立て御即位ありし云々」(平家物語 俊寛遠流の粂) 「神武天皇日向宮崎の宮に都し給ひき」(神武正統記) 「この村に内裏跡という処あり杉木数珠を植えて其の地を穢さず。」(日向見聞録 下北方村の条) 宮崎神宮元宮 皇宮神社御祭神 神日本磐余彦天皇(かみやまといはれひこのすめらみこと)(神武天皇)相殿 吾平津姫命(あひらつひめのみこと)、手研耳命(たぎしみみのみこと)、渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと) ※吾平津姫命は、神日本磐余彦天皇の妃、手研耳命は皇子。渟名川耳命はその弟です。 ご創建は不詳ですが、旧社殿は弘化四年(1847年)藩費を以て再建され、明治10年、宮崎神宮の摂社に列せられた。 昭和九年境域の拡張整備が行われて「聖蹟皇宮屋」の記念碑が建てられた。 現在の皇宮神社社殿は、昭和51年に竣工、同年7月遷座祭が行われた。 |
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ご改築前の社殿跡皇宮神社の西側に 皇宮神社旧社殿跡があります。神武天皇宮居跡 (皇宮神社旧社殿跡) 創建は不明・弘化4年(1847)再建の記録が残るとの事。 写真は、ご改築前の社殿(写真は 現地にていただいた「宮崎神宮元宮 皇宮神社略記」より) 参道入口の灯篭 と 石碑(文字部分が拡大します。)幼少名 狭野尊(さののみこと)がお生まれになった産屋があったところと云われている → 皇子原神社 幼少の頃 狭野命を祀る神社→狭野神社 宮崎に宮をかまえる前に過ごされたとされる→駒宮神社 神武天皇が東征の際に船出されたところ→美々津 |
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皇軍発祥の地の塔 |
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平成24年は、古事記編さん1300年です。 神武天皇ゆかりの地「皇宮屋(こぐや)」の写真を撮りなおしたものへ差し替えました。 これまで公開してきた以下の皇宮屋のページは削除しました。 http://homepage3.nifty.com/~morimori/jinmu/ 旧ページに掲載いた写真は→ こちらに保存 宮崎県高原町 皇宮屋(こぐや) 皇宮神社-2012/07-2012/11- |
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