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![]() 児原稲荷神社 (宮崎県児湯郡西米良村)児原稲荷神社(こばる稲荷神社) 鎮座地宮崎県児湯郡西米良村大字越野尾134 地図リンクMap GPS N=32.11.3 E=131.14.47
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト) 五穀・穀物 穀霊の神
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児原稲荷神社の写真(一部の写真については拡大画像があります。)朱塗りの鳥居と竹林が美しい参道階段 ![]() ![]() |
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児原稲荷神社ア 祭神 倉稲魂命 彦火火出見命 木花咲耶姫命 太田命 大宮姫命 大山祇命 イ 鎮座地 児湯郡西米良村大字越野尾135番地 ウ 例祭目 12月8日 工 創立年月日 養老2年(718)11月8日と伝える オ 由緒沿革 当社は、木花咲耶姫命、彦火火出見命、大山祀命を奉斎した神社であつたが、天正5年(1577)伊東家十代義祐は島津との戦いに敗れ豊後に落ちるに際し、伊東家の守護神伊豆稲荷の祭祀を当神社社司甲斐助左衛門重祐に依頼され、兵火の中より御神霊を壷中に収め持ち帰り、倉稲魂命、太田命、大宮姫命を合祀し以後小春稲荷神社と称した。 秀吉に仕えた義祐の子祐兵は天正15年(1587)九州の役に参戦し、島津勢が降ってからは飫肥の初代藩主となり、当神社の例大祭には豊後落ちの恩義を忘れず、飫肥名産の蜜柑を毎年名代をつかわし奉献したと言われる。江戸期には米良五社の一つとして領主米良氏の崇敬を受け、祭礼の際には領主の直参、代参があつたという。棟札によると寛政2年(1790)11月甲斐刑部によって再興されている。 幕末、当社祠官の甲斐右膳大蔵父子は、尊王運動の先頭に立ち、文久3年(1863)の討幕運動の失敗で、肥後人吉藩に捕えられ、元治元年(1864)に父子相次いで獄死した。このため明治維新に際して社号を消滅させられたが、明治15年(1882)現在の社名を称するようになった。 社殿に至る石段左側の墓地内の甲斐右膳大蔵の墓は昭和9年勤王家の墓として県史跡に指定された。 特殊神事として節分の折「普通水稲稲作占い」を挙行している。 令和2年3月 米良山の神楽 調査報告書より 引用
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道中から見た西米良の景色![]() ![]() |
児原稲荷神社 (宮崎県児湯郡西米良村)ネットで予約できる鹿児島のホテル旅館等をまとめたもの 霧島温泉のホテル旅館
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