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金崎神社(かねさきじんじゃ)Kanesaki Shinto Shrine金崎神社 鎮座地 〒880-2234 宮崎県宮崎市金崎2995 地図:GoogleMap Mapfan Mapion (66 492 496) 緯度経度:N=31.58.16.0 E=131.21.16.9(日本測地系) 金崎神社の御祭神彦火火瓊々杵尊(ひこほほににぎのみこと)木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと) 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 豊玉姫尊(とよたまひめのみこと) (うがやふきあえずのみこと) 玉依姫尊(たまよりひめのみこと) 御由緒金崎神社伝記によると、本社は大崎上峯に桓武天皇(第50代)(781?805)の御世、金崎宗廟の大神として延暦三年(784)に創立御鎮座。建久元年(1190)工藤祐経が日向の守護となって武運長久、国家安全祈願のために社領高(祭祀料)七石を奉納した。 天正十五年(1587)秋月筑前守種長(高鍋藩)の領地となった時も社領高はそのまま奉納された。 慶長九年(1604)同山腰根(現在地)に遷座した。 元禄二年(1689)秋月式部種封(秋月藩分知木脇三千石)の領地になっても社領高はそのまま奉納された。 金崎神社は藩政時代までは、金之御児又は金御子を冠して金御子六社大権現と言ったが、明治四年(1871)になってから金崎神社と呼ぶようになった。 金崎地区には古来から大崎山に関する口伝が語りつがれていた。 それは、神日本磐余彦尊(神武天皇)が狭野の宮より宮崎の宮に遷らせ給う途次、この大崎山上に立って東方の橘の小戸の阿波岐原をお望みになったという伝承によって、昭和十五年(1940)紀元二千六百年記念事業として、宮崎県祝会は、金崎神社大崎山を日向神代の神武天皇巡幸の伝説地として顕彰した のを記念して神社境内拡張と併せ記念碑を大崎山上に建てたものである。 金御子六社大権現の呼び名は、神武天皇の父君が(うがやふきあえずのみこと)で、母君が 玉依姫命(たまよりひめのみこと)であるとされる 。 神武天皇三代の皇祖が祀られている神社であるので、そのように金崎神社を呼んでいたものであろう。(御由緒書より) |
金崎神社の写真 (画像は1280pixに拡大します) |
田の神金崎神社の前に、田の神様がありましたのでご紹介。田の神様は、宮崎市でも見かけますが、小林市・えびの市周辺が特に多いようです。 特にえびの市は多く、ご当地キャラクターも田の神様をモチーフにしたものです。 地元では、親しもをこめ、田の神さぁ(たのかんさー)と読んでおります。 当サイト内関連ページ → 田の神さぁ |
宮崎県宮崎市 金崎神社-2014/08- 撮影は2012年3月 |
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