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吾平津神社(乙姫神社) (宮崎県日南市油津)吾平津(あひらつ)神社 鎮座地〒887-0005 宮崎県日南市材木町9-10地図リンク Map(マップファン) GPS N=31.34.52.2 E=131.24.12.6 更新履歴 神社鳥居前設置された、吾平津媛(あひらつひめ)像など、平成24年6月に撮影した画像を4枚追加しました。 (平成24年6月追記) 吾平津神社(あひらつ神社)の祭神吾平津昆売命(あひらつめのみこと) 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 天児屋根命(あめのこやわのみこと) 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 経津主命(ふっぬしのみこと) 吾平津神社 現地案内板より由緒沿革当社は元明天皇の御代の和銅2年(709年)の創建にて、乙姫(おとひめ)大明神と称して、江戸時代、飫肥11社の1つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し、伊東裕帰知事の意により、吾平津神社(あひらつじんじゃ)と改称され、昭和8年郷社ととなる。 境内に御門神社二社があり、櫛磐間戸命(くしいわまどのみこと) 、豊磐間戸命(とよいわまどのみこと). の二柱の神をお祭りしてあります。 その他に境内末社として祖霊社、又豊漁及び商売繁盛の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮座されています。 主祭神の「吾平津昆売命(あひらつめのみこと)」は宮崎神宮の御祭神「神武天皇」が狭野尊(さののみこと)と称され、まだ日向に在られた頃の妃であり「古事記」によればお二人の間には「多芸志美々命(たぎしみみのみこと)」「岐須美々命(きす みみのみこと) 」二人の皇子ありとあり、また「日本書紀」には「手研耳命(てぎしみみのみこと)」お一人の皇子ありとある。 神武天皇が皇子や郡臣と共に日向を立って大和朝廷をおこすため東遷された時「吾平津昆売命」は同行せず当地に残こられ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りされました。 この故事により当神社は交通安全、航海安全、商売繁昌、諸祈願成就の神様として篤く信仰されています。 (案内板より一部転載) |
日本書記 巻三 |
吾平津神社(乙姫神社)の写真(一部の写真については拡大画像があります。)*2012年6月追加写真 実際には上部に電線が通っておりますが、画像処理で削除しました。 吾平津神社は油津の堀川運河の石造り堀川橋の近くにある。 |
一の鳥居をくぐると「おがたまの木」でしょうか・・。 / 大きな貝は港町の神社であることを再認識。 |
コンクリート造りは台風の影響を受けないようにとのことから。 |
本殿 / 乙姫稲荷神社 |
吾平津媛(あひらつひめ)像は、宮崎県商工会議所連合会により、ひむか神話街道の神話ゆかりの地に、設置、 管理されているようです。 この像の提供は 日南市の 王子製紙株式会社、京屋酒造有限会社のようです。 吾平津神社(乙姫神社) (宮崎県日南市油津)ネットで予約できる鹿児島のホテル旅館等をまとめたもの 霧島温泉のホテル旅館[当サイト内、神社関連のページ]-日向神話ゆかりの地等- 【高千穂神社 高千穂町】【天岩 戸神社 高千穂町】【くしふる神社 高千穂町】【三ヶ所神社 五ヶ瀬町】【都萬神社 西都市】【銀鏡神社 西都市】 【都農神社 都農町】【江田神社 宮崎市】【小戸神社 宮崎市】【住吉神社 宮崎市】【宮崎神宮 宮崎市】【生目神社 宮崎市】【木花神社 宮崎市】【青島神社 宮崎市】 【鵜戸神宮 日南市】【駒宮神社 日南市】【榎原神社 日南市南郷町】【潮嶽神社 日南市北郷町】【白鳥神社 えびの市】【霧島岑神社 小林市】【東霧島神社 都城市高崎町】【狭野神社 高原町】【霧島東神社 高原町】【霧島神宮 鹿児島】【霞神社 高原町】 |
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