記紀編さん1300年 宮崎関連 By MORIMORI 記紀編さん1300年 ~ 神話のふるさと宮崎~ |
【038】 生達(そだつ)神社 神武天皇腰掛岩日南市北郷町 生達神社 古跡 神武天皇腰掛岩の紹介生達神社(日南市北郷町)背景写真拡大 |
生達神社より林道を約20分程歩いて登ったところに、神武天皇が腰掛けられたという、「神武天皇腰掛岩」(通称
天狗岩)があります。 この「神武天皇腰掛岩」は長い間不明となっておりましたが、平成24年7月22日に発見されたものです。 |
以下は、宮崎の神話関連本 「ひむか神話伝説」より企画 社団法人 宮崎市観光協会 編集 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会 / 出版 鉱脈社の中より、「はじめに / 宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会 会長 岡田勝運」 より、関連部分を一部引用。 |
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引用はじめ “ 今回の取材・調査でのエピソードを一つ紹介する。 日南市北郷町曽和田の生達神社には、過去の書物によれば、神武天皇腰掛岩というのがある筈であった。 最初、地元の人に尋ねると 「実は50年前、山火事があったときに、行方不明となり、それ以来、誰も見ていない。しかし折角こんな山奥まで来てくれるのだから、一度探してみよう」ということになった。 そして調査当日は梅雨時で大雨の中、地区の方と会員が山に入り探した。 山の中腹で、雑草を刈り取った中から、その岩が発見された。 その直後、雷雨となり、まるで岩が歓喜し涙を流したようだと、皆で喜びあった。 もし、今回の取材がなければ、この岩は、結局忘れ去られてしまったかもしれない。” / 引用終わり。 |
今回の発見に関係した、宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会会員の小玉順昭さんより、情報や写真を提供頂きました。以下に掲載した写真は、平成25年6月9日に行われた神事の様子 / 窪大石周辺の調査過程の写真です。 |
生達神社 御由緒(旧生立大明神・曽和田神社) |
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御祭神 鎮座地 例祭日 御神徳 |
神武天皇 吾平津姫 手研耳命 日南市北郷町曽和田譲葉山 十二月三日 息災 延命 子孫繁盛 武運長久 当所豊饒 |
創建 | 享録年間 千五百三十年頃 室町時代 後奈良天皇の御代棟札によると、曽和田村(譲葉山)に生達大明神の大施主、藤原忠朝ならびに嫡男忠廣造営奉るとある。 |
由緒沿革 | 神武天皇御東遷に先立ち宮崎の宮より妃吾平津姫命及び皇子達を随へ吾田の宮へ巡幸御途次此の地に行幸あらせ給ひしと伝う。 また、御年四歳の頃行幸になり、御成長になったとも伝えられる。 当神社は、現在地より三百米位上の地点であったが、紀元二六〇〇年祭のとき現地に移転改築したものである。 |
古跡 | そのころ天皇が腰掛けられ、油津の海を望んだという幅 二尺七寸 高さ 三尺七寸の岩「通称 天狗岩」がある。 岩の天井部前方に馬の足跡がある。当時天皇の愛馬を「後雪」といっていた。さらに上方、「窪大石」御先祭供所がある。 |
参詣者 | 島津豊州家三代当主 藤原(島津)忠朝公、並びに伊東藩領となった後も初代伊東祐兵公等が崇拝し神殿改修等寄進されている。 |
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神武天皇腰掛岩への概略地図等、アクセス情報地図リンク:GoogleMap高度: 389 m 緯度: 31゚ 4253.533 / 日本地理系換算緯度 : 31/42/40.962 経度: 131゚ 1858.097 / 日本地理系換算経度 : 131/19/06.589 ※上記は当日撮影したデジカメのExifデーターより抽出したものですので、不正確な場合もあります。 生達神社の西方向約450m(道路上で約1.3Km)、高度差150m、登り部分は平均8.5度程度かと思われます。 神武天皇腰掛岩まで、生達神社から徒歩約20分程だったと思います。(30分みておけば十分と思います。) 下の地図は、生達神社より神武天皇腰掛岩までの概略地図です。 ※情報は地図作成時点のものです。先々変更になる場合もあります。現地案内板などに従ってください。 地図中、林道(茶色)は狭い未舗装の坂道で、路面は荒れてます。鋭利な石等でタイヤを切る可能性もあります。 土砂の流れを防ぐ道路上のゴムの堰板等を壊す恐れもあるので、車は神社に駐車、徒歩で向かいます。 ※大型の作業車が通行することがありますので、路上駐車は行わないください。 墓地の分岐以降、林道は道なりに歩いて行けば、迷わないと思います。 分岐部には、50cm位の高さの〔神武天皇腰掛岩→〕の案内標識がありました。 |
生達神社は、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト・後の神武天皇)が、御東遷に先立ち 宮崎の宮よりお后のアヒラツヒメとともに立ち寄られたところと伝えられています。また、神武天皇が四歳の時から育てられた場所とも云われているようです。 そのころ天皇が腰掛けられ、油津の海を望んだという岩です。 幅 約82cm 高さ 約112cmの岩です。 |
古事記・日本書紀では神武天皇は日向の国(現在の宮崎県)からお船出したと書かれております。 古事記では・・ 「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」 日本書紀では・・ 「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇子・舟軍(ふないくさ)を率いて東征」 記紀にはそこが美々津とは書かれていないようですが、日向の伝承では、美々津(みみつ)とされております。 |
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