〔 鬼の窟古墳 〕 車窓より 反射写りこみはご了承を。 この後、男狭穂塚・女狭穂塚を車窓から見学しました。 (写真はありません・・ご存知のように御陵墓参考地で、柵の中、木に覆われておりますので・・写して も木が写るだけかと・・撮影はしませんでした。) 男狭穂塚は、高天原から高千穂の峰に降り立ったニニギノミコトの墓、女狭穂塚はニニギノミコトが 西都の地で出会って妻としたコノハナサクヤヒメの墓と伝承されていますが・・・。 被葬者は日向国造の始祖、大首長であったと推測される、豊国別王(トヨクニワケノミコト) [12代 景行天皇の子息]と言う説。 (景行天皇は日本書紀によると6年間に渡り日向(ひむか)に滞在したと記されている。) また、男狭穂塚が、牛諸君牛諸井(牛諸井)(モロカタノキミウシモロイ)、女狭穂塚が牛諸君牛諸井 (牛諸井)の娘であり、仁徳天皇の妃であった絶世の美女と伝えられる髪長姫(かみながひめ)という 説もあります。 ボランティアガイド方は、バスの中で、このあたりにも詳しく説明してらっしゃいました。 この後、バスは西都インターチェンジより、高速道路(東九州道〜宮崎自動車道)で宮崎インターチ ェンジを経て青島へと向かいました。 道中、宮崎のボランティアガイドよりる古事記にまつわる様様なお話も聞け、退屈しませんでした。 |